2015年9月11日金曜日

The World Around Us -- 私たちをとりまく世界

今日、久しぶりにエジプシャン・バザールで働いているシリア人の友だちと会いました。

日中は暑い日もあるけれど、空はすっかり秋の空。

17時過ぎたら暇になるから、と言われて18時近くに行ったものの、暇なはずが私が行くなり急に忙しくなって、「ちょっと待ってて」と促され、お店で待つことに。

お店の中は、アラブからの富裕層の観光客でいっぱい。
そのうちの一人の女性が私の側へやってきて、「出身はどこの国?フィリピン?」と聞いて来ました。

これまでトルコ人と同じ、テュルク系民族のキリギスタン人やトルクメニスタン人に間違えられることはあっても、同じアジアでも東南アジアは初めて。
先週行った旅行で初日を除いてずっとお天気に恵まれたことで、更に日焼けしてしまったからかもしれません(笑)

エジプシャン・バザールのすぐ隣にあるイェニ・ジャーミイ。

いいえ、日本人です、あなたはどこの国から来たのですか?と聞くと、「リビア」と答えました。

リビアは北アフリカの地中海沿岸にある国で、ムアンマル・アル=カダフィ(通称、カダフィ大佐)という一人の人物が1969年から2011年の政権崩壊まで、実に42年間という長期にわたり独裁政権を維持してきました。
お隣のチュニジアで、2010年12月に起きたジャスミン革命の影響を受け、リビアでも2011年2月に反政府デモが起き、同年8月にカダフィ政権は崩壊。
そしてそれから2ヶ月後の2011年10月に、リビア国民評議会という当時の暫定政権の兵士によって、カダフィは殺害され、リビアは昨年まで内戦状態にありました。

治安はどうなのですか?安全に暮らしていますか?と聞くと、都会は大丈夫です、昨年に比べたら、ずっと良くなりました、私は都会に住んでいるので大丈夫ですが、一部の地域は今でも危険です、と。

でも、彼女の言う『大丈夫』は、どの程度なのか。
戦争を経験したことのない私には想像がつきません。

流暢な英語を話すその女性は、現在大学で『教育』を勉強しているとのこと。
大学を終えたら、英語の先生になります、本当はなりたくないのだけれど、と答えるその女性に「なぜ、なりたくない職業に就くの?」と聞きたかったのですが、連れの人たちに「行くわよ〜」と促され、聞けませんでした。

あなたに会えて、こうやって話せて良かったわ!と笑顔で手を振るその女性。
私も!トルコを楽しんでね!と私。

夕陽が沈んで間もない頃。
この時間のイスタンブールが一番きれいだと思う。

家に帰って外務省の『海外安全情報』でリビアを見てみると、全域赤の『退避勧告』。
昨年の4月に会って話したソマリア人もそうでしたが、その国のことを現地の人から直接教えてもらえることは、本当に貴重な体験です。

ニュースでご存知の方も多いと思いますが、ここ最近、トルコ南東部でPKK(クルディスタン労働者党)によるテロ行為が勃発しており、クルド人に対する風当たりがとても強くなってきています。
そしてシリアをはじめ国内情勢が不安定な中東の国々からは、毎日沢山の人たちがが命がけで国外脱出を目指しています。

幼い子を連れてシリアから逃れてきた男性が、何故子どもを命の危険にさらしてまで逃げて来たのか?という質問に対し、「シリアにいたら、もうとっくに死んでいた」と答えたことがとても強く印象に残っています。

遠く離れた日本にいたら実感できなかった世界。
人はどんなに絶望的な状況に置かれても、生きる希望を失わない人はたくましい。
辛い経験を胸に、命がけで国外へ脱出したシリアの人たちが、移住先で良い生活ができることを強く願うばかりです。

今年の春に生まれたカモメ。
まだまだ顔つきは子どもだけど、大きさはすでに大人並み。

日本でもアムネスティ日本が、シリア難民受け入れの署名活動を始めたようです。
ことば、宗教、習慣など、問題になりそうなことは沢山あるかもしれませんが、死の淵を経験した人なら、サポートさえあれば、きっとその問題を乗り越える努力をしてくれると思います。
ご協力を、どうぞよろしくお願いします。

アムネスティ日本 日本でシリア難民を受け入れよう



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2015年9月7日月曜日

150km -- 150キロ

ハジベクタシュの後に向かった、タルスス。

1万年の歴史を持ち、キリスト教発展の基礎を作った聖パウロが生まれたこの町は、今激しい内戦のため、毎日沢山の人たちが国を脱出しているシリアから、直線距離にしてたった150キロしか離れていません。

何にも怯えることなく、自由に町を歩き、食べたいものを食べ、安心して眠る場所があるここからわずか150キロ先では、命からがら、人々は陸から、海から、安全を求めて脱出しているのです。

トルコ国境で(写真はAFPより)

2015年9月現在のシリアの難民数は、およそ400万人。
そのうちレバノンがおよそ78万人、ヨルダンがおよそ53万人、トルコがおよそ50万人のシリアからの難民をそれぞれ受け容れてきました。
国境近くにあるトルコ側の難民キャンプはすでにパンク状態。
それでもなお、大勢の人たちが国境に押し寄せていると聞きます。

そんな中、先日世界中を揺るがすある事故が報道されました。

みなさんもご存知だと思いますが、トルコの有名なリゾート地ボドルムの海岸で、3歳の男の子を含む12人のシリア人の遺体が海岸で発見されました。
彼らはボドルムから、ギリシャを経由して、欧米諸国へ向かう途中、乗っていた船がボドルムの沖合5キロ付近で転覆し、20人ほど乗っていた難民の半分以上が犠牲となってしまいました。

でも実際には、大きく報道されてはいませんが、同様の事故はこれまで何度も起きており、沢山の尊い命が失われているのです。

ギリシャ国境で(写真はUNHCRより)

ライフジャケットさえ着用していれば、助かったかもしれない命。
けれど、逃げるために法外な料金を密出国の仲介業者に支払わなければならず、ライフジャケットさえ買うお金がなかったそうです。
他の船では、一人でも多く乗船させるため、かさばるライフジャケットを脱がせる業者もいたそうです。

そもそも、何故シリアがこのような悲惨な状態になってしまったのか。
2011年にチュニジアで起きた『ジャスミン革命』の影響だとWikipediaにはありましたが、イギリス人の友だちがとても興味深い内容の記事をアップしていました。


これによると、内乱は2006年から2011年にシリアで起きた大干ばつが発端だとあります。
その干ばつにより、国はおよそ85%の家畜を失い、有名なアレッポとうがらしの耕作も出来なくなってしまいました。
井戸を掘るにも政府は支援せず、農民たちは自分でそれをしなくてはなりませんが、大干ばつが長期化したこともあり、結局は多くの農夫が仕事を失い、村を離れ、仕事を求め大都市に向かいます。
しかし急激な人口増加により大都市では失業率が増加し、長期化した干ばつによる影響から日常生活のための水の確保も難しくなり、市民のイライラは日々膨らみ続け、ある日10代の少年たちが抗議行動を起こします。

少年ら15人が秘密警察に拘束され、彼らに対して拷問が行われました。
火で肌を焼かれたり、爪をはがされたりという、成人男性もいたようです。
そして、これら少年らの解放を求め、その親族らが集まり抗議活動をしているところに政府が武力行使したことが、すべての発端のようです。

現在シリア政府は、反政府組織ばかりだけでなく、そこにイスラム過激派であるISILの問題も加わり、もはやシリア政府単独では解決できないほど、問題は深刻化してしまっています。
もしも、、、などと考えるべきではないかもしれませんが、もしもアサド政権が初期の段階で国民を助けていたなら、政府が国民の立場に立って支援をしていたら、内戦も起きることなく、若者も将来を諦めることもなく、平和な生活が続いていたはずです。


私が初めてトルコに来た2009年。
カッパドキアで会った人たちは口々に、「シリアはいいよ。シリア人はトルコ人より更に親切で、食べるものも安くて美味しいよ」と言っていました。
あのとき、6年後の今、シリアがこんな状況になってしまうとは、夢にも思っていませんでした。

日本にいると遠い世界のことかもしれません。
でも私が住むトルコに隣接しているシリアでは、明日生きているかどうか分からない生活を強いられている人たちが沢山いるのです。
どうか世界で起きていることに、少しでも目を向けてください。
関心を持ってください。

平和だったシリアに戻る日が、一日でも早くきますように。


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2015年9月6日日曜日

Hacıbektaş -- ハジベクタシュ

「いつ、タルススへ来るんだ?」

去年の秋、カズダーへ行った際に飛行機が大幅に遅れ、そのときに発券されたトルコ国内の無料航空券を利用して、よくご飯を食べに行くベジタリアンレストランのオーナー兼シェフの出身地タルススへ行こうと思っていたものの、タルススで女子大生がレイプされ殺害されるという事件があり、何となく行きそびれていたタルスス。

けれど、7月の終わりにそのレストランで友だちとご飯を食べているとき、以前紹介されたタルスス在住のその人にそう声をかけられ、「よし、行こう!」と決めた今回の旅。

旅を計画した時期がちょうど満月と重なったこともあって、ならば途中、何処か気持ちの向くところも、、、と、以前友だちとその友だちのお母さんから勧められた、ハジベクタシュへも行くことに。

Hacı Bektaş Veli

ハジベクタシュは、カッパドキアの側にあるネヴシェヒルという町から北へ50キロほど行ったところに在る町で、イスラム教アレヴィー派神秘主義者、ハジ・ベクタシュ・ヴェッリ(Hacı Bektaş-ı Veli)が14世紀に教えを説いたという聖地でもあります。

イスラム教アレヴィー派。
聞くところによると、イスラム教の教義にある礼拝や断食は強制的でなく、飲酒もオッケー、女性の服装も自由だし、普通は男女が分けられているモスク内の礼拝の場も、アレヴィー派は男女同じ場所で祈ることができる、ととても自由な宗派。
それ故、イスラム教でない、と言う人もいますが、アレヴィー派は第4代正統カリフであるアリーを崇敬する、立派なイスラム教宗派の一つ。

ハジ・ベクタシュ・ヴェッリ博物館
この日は『勝利の日』という祝日だったので、
大きな国旗が掲げられていました。

博物館の中にある、ハジ・ベクタシュのお墓。
女性の信者が圧倒的に多い。

アリーはイスラム教の預言者ムハンマドの娘婿で、預言者ムハンマドは彼のことをこう言ったそうです。

『私は知識の都であり、アリーはその門である』

そしてハジベクタシュやスーフィー教では、アリーは聖なる秘密やイスラム教の難解な意味を握っている人物と考えていたようです。
余談ですが、アリーはイスラム教のスンニ派とシーア派の両方から公認された唯一の指導者であるため、イラン・イラク戦争のときには、人々はアリーの肖像をお守り代わりに持っていたそうです。
国や宗派が相反していても、同じ人物を指導者として信仰しているものに対して、銃口は向けられない、ということからのようです。

博物館から2キロほど離れたところにある、嘆きの岩。
この中でお祈りをすると、災いから守られるとか。

そんなアレヴィー派の影響を強く受けているハジ・ベクタシュ・ヴェッリ。
彼は、『女性を教育しなさい。女性を教育しない民族は発展できない』と説いていたこともあって、ここに集まる人たちの中でも、女性の方が信仰が強いように感じました。

彼の教えの中でも私が好きなものを紹介します。

・その道を歩く者は、決して疲れることはない。
・あなたが探し求めるものが何であろうと、自分自身の内側を見なさい。
・もしその道が暗く見えるのなら、それはあなたの目がベールで覆われているからだ。
・たとえ自分が傷ついても、他人を傷つけてはならない。
・宗教間に差別は必要ない。宗教は人々の間に論争をもたらす。事実は、全ての宗教は地球の平和と兄弟愛を与えることをゴールとする。

他にも沢山あるのですが、これだけを読んでみても、宗教というものを客観的にみたとき、その根底にあるものは、何であろうと同じなのではないかと思います。
イスラム教というと、ISILをはじめとするイスラム教過激派の影響もあって、何か異質なものと勘違いされやすいと思いますが、ご存知のとおり、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、信じている神さまは同じなのです。

けれどそれを『○○教』というくくりで自他を分け(差別し)、結局はハジ・ベクタシュも言っているように、それによって論争がもたらされているのが、今の世の中です。
私たちの将来が暗いものだと思う人は、ハジ・ベクタシュが言うように、その人の目がベールで覆われているからかもしれません。

パシャバーから見えた、ダブルレインボウ。

このとき、私の他には誰もおらず。

上の写真は、ハジベクタシュに行く前日、カッパドキアのパシャバーで見た虹。
「これから雷雨になるから、行くのは止めた方がいいよ」と宿の人に言われましたが、私には雨も雷も関係ないの!と言ってパシャバーに向かうと、到着して間もなく雷が鳴り、ふと目を向けた方角に、この虹が出始めたところでした。
そして、その直後から、激しい雨が降り始めそれまで沢山いた観光客はゼロに。
最後に大きな虹が現れたときには、誰もおらず、私はこの絶景を独り占め!

雨に太陽の光が反射して、本当にきれい!

ずーっと晴れの予報だったのに、突然の雷雨。
きっと何かいいことあるな〜、と思っていたら、やっぱり!のカッパドキアでした。


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