2015年9月7日月曜日

150km -- 150キロ

ハジベクタシュの後に向かった、タルスス。

1万年の歴史を持ち、キリスト教発展の基礎を作った聖パウロが生まれたこの町は、今激しい内戦のため、毎日沢山の人たちが国を脱出しているシリアから、直線距離にしてたった150キロしか離れていません。

何にも怯えることなく、自由に町を歩き、食べたいものを食べ、安心して眠る場所があるここからわずか150キロ先では、命からがら、人々は陸から、海から、安全を求めて脱出しているのです。

トルコ国境で(写真はAFPより)

2015年9月現在のシリアの難民数は、およそ400万人。
そのうちレバノンがおよそ78万人、ヨルダンがおよそ53万人、トルコがおよそ50万人のシリアからの難民をそれぞれ受け容れてきました。
国境近くにあるトルコ側の難民キャンプはすでにパンク状態。
それでもなお、大勢の人たちが国境に押し寄せていると聞きます。

そんな中、先日世界中を揺るがすある事故が報道されました。

みなさんもご存知だと思いますが、トルコの有名なリゾート地ボドルムの海岸で、3歳の男の子を含む12人のシリア人の遺体が海岸で発見されました。
彼らはボドルムから、ギリシャを経由して、欧米諸国へ向かう途中、乗っていた船がボドルムの沖合5キロ付近で転覆し、20人ほど乗っていた難民の半分以上が犠牲となってしまいました。

でも実際には、大きく報道されてはいませんが、同様の事故はこれまで何度も起きており、沢山の尊い命が失われているのです。

ギリシャ国境で(写真はUNHCRより)

ライフジャケットさえ着用していれば、助かったかもしれない命。
けれど、逃げるために法外な料金を密出国の仲介業者に支払わなければならず、ライフジャケットさえ買うお金がなかったそうです。
他の船では、一人でも多く乗船させるため、かさばるライフジャケットを脱がせる業者もいたそうです。

そもそも、何故シリアがこのような悲惨な状態になってしまったのか。
2011年にチュニジアで起きた『ジャスミン革命』の影響だとWikipediaにはありましたが、イギリス人の友だちがとても興味深い内容の記事をアップしていました。


これによると、内乱は2006年から2011年にシリアで起きた大干ばつが発端だとあります。
その干ばつにより、国はおよそ85%の家畜を失い、有名なアレッポとうがらしの耕作も出来なくなってしまいました。
井戸を掘るにも政府は支援せず、農民たちは自分でそれをしなくてはなりませんが、大干ばつが長期化したこともあり、結局は多くの農夫が仕事を失い、村を離れ、仕事を求め大都市に向かいます。
しかし急激な人口増加により大都市では失業率が増加し、長期化した干ばつによる影響から日常生活のための水の確保も難しくなり、市民のイライラは日々膨らみ続け、ある日10代の少年たちが抗議行動を起こします。

少年ら15人が秘密警察に拘束され、彼らに対して拷問が行われました。
火で肌を焼かれたり、爪をはがされたりという、成人男性もいたようです。
そして、これら少年らの解放を求め、その親族らが集まり抗議活動をしているところに政府が武力行使したことが、すべての発端のようです。

現在シリア政府は、反政府組織ばかりだけでなく、そこにイスラム過激派であるISILの問題も加わり、もはやシリア政府単独では解決できないほど、問題は深刻化してしまっています。
もしも、、、などと考えるべきではないかもしれませんが、もしもアサド政権が初期の段階で国民を助けていたなら、政府が国民の立場に立って支援をしていたら、内戦も起きることなく、若者も将来を諦めることもなく、平和な生活が続いていたはずです。


私が初めてトルコに来た2009年。
カッパドキアで会った人たちは口々に、「シリアはいいよ。シリア人はトルコ人より更に親切で、食べるものも安くて美味しいよ」と言っていました。
あのとき、6年後の今、シリアがこんな状況になってしまうとは、夢にも思っていませんでした。

日本にいると遠い世界のことかもしれません。
でも私が住むトルコに隣接しているシリアでは、明日生きているかどうか分からない生活を強いられている人たちが沢山いるのです。
どうか世界で起きていることに、少しでも目を向けてください。
関心を持ってください。

平和だったシリアに戻る日が、一日でも早くきますように。


ブログランキングに参加しています。 応援していただけると嬉しいです♪
にほんブログ村 海外生活ブログ トルコ情報へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿