2015年7月30日木曜日

Gypsy Children -- ジプシーの子どもたち

コンヤでシャムセ・タブリーズ・ジャーミィへ行ったときのこと。

朝早かったこともあって人もほとんどいなかったのですが、ジャーミィの前の広場に数人の子どもたちがたむろしているのが見えました。

『ジプシーの子どもたちだ、、、』

そう思うや否や、私を見つけた子どもたちは私に駆け寄って来て、「アブラ(お姉ちゃん)、1リラちょうだい」と代わる代わる手を伸ばしてお金を無心してきました。

大都市イスタンブールには、ジプシーが沢山います。
でもイスタンブールだとジプシーの人たちは大概、道で花や食べ物やお水、ティッシュなどを売ったり、音楽を演奏して、お金を稼いでいます。
今、路上でお金を無心する人のほとんどは、シリアからの難民と見られる人たち。
なので、日常的に「お金ちょうだい」とか、「これ買って」と言われることに慣れているとはいえ、執拗だったり、買わないと「ちっ」とか言われて、ムッとすることもしばしば。

コンヤで会った子たちもジャーミィの回りをぐるりと歩く私の後を、「ねぇねぇ、お金ちょうだいよー」と言いながら付いて来て、「お金ないよ」と言っても、「1リラでいいからさぁー」と諦めません。
もうさー、お願いだから放っておいて!そう言いたくなったそのとき、子どもの一人が "What's your name?"と英語で私の名前を聞いて来ました。

ふーん、英語知ってるんだ、と言うと、「ねえねえ、名前なんて言うの?名前、教えて」と英語で言います。
私の名前を英語で言って、"And, what's is yours?"と聞くときょとんとしているので、"Adın ne?"と聞くと、"Ali"と答えました。

そのとき気がついたこと。

子どもたちの目がとてもきれいなこと。
どの子もですが、特に私に名前を聞いて来た、Aliくんの目は好奇心いっぱいでキラキラしていました。
そして私がトルコ語を話すことが分かると、みんな一斉にしゃべり出しました。

どこの国から来たの?
日本の子どもはどんな遊びをするの?
サッカーはする?
みんなでサッカーしたいんだけど、ボールがないんだ。
だからボール買って!
ボールが無理なら、パン買って!

私もお金ないのよ、だから私にも1リラちょうだい!
と私が笑いながら冗談ぽく言うと、子どもたちは大笑い。
バックパックの中にパンがあることを思い出して、「みんなで分けてね」とAliくんに渡し、じゃあ行くね、バイバイ、と言って別れました。

そのときふと思ったこと。

私は何を見ていたんだろう。
執拗にお金やものを無心してくる子どもたちを、その子たちの顔を見ることもなく『疎ましい』と遠ざけていた自分をとても恥ずかしく思いました。
でも『疎ましい』という壁を取り除いて見たら、そこにはキラキラした、澄んだ子どもたちの目がありました。
これまで、自動的に降ろしていたシャッターを降ろさず、自ら一歩子どもたちに近づくことで、また一つ、大切なことを教えられました。

夕方、少しお腹が空いたので、どこかでご飯をと思い、それならあの子どもたちと一緒に、ケバブサンドでも食べようと思ってシャムセのジャーミィへ行くと、子どもたちの姿は見えず。
でももしまた次回会えて、私のことを覚えていてくれたら、一緒にサンドイッチを食べようと思っています。

※トルコを旅行していると、こういった子どもたちに出会うことが多いと思いますが、くれぐれも持ち物、身の回りのものには注意してくださいね。私も今回、そんな素振りは見せませんでしたが、かなり注意していました。残念ながら手癖の悪い子がいるのも事実です。純粋で良い子たちでも、生きて行くためにはしてはいけないことをしてしまう子もいますので。



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2015年7月29日水曜日

Shams of Tabriz -- シャムセ・タブリーズ

先日友だちと会ったときに、ふと思いついて何の計画もなくコンヤへ行ってきました。

コンヤはトルコの首都アンカラから南へおよそ250キロほど行った所にある、人口およそ100万人の町。
ここはかつて聖パウロがキリスト教の布教に訪れた町としても知られています。そしてまた、トルコ共和国の建国から4年後の1927年に解散させられましたが、トルコを代表するイスラム神秘主義、メヴレヴィー教団の本拠地でもありました。

メヴレヴィー教団の祈りのダンス、セマー。(写真はWikipediaより)

No planの旅なので、行きの飛行機の中で地図を見て行きたいところを確認。
今回の目的は、メブレヴィー教団の始祖、ジャラール・ウッディーン・ルーミーが眠る『メヴラーナ博物館』だったはずなのですが、歩いている途中でふと地図を見ると、そのとき『シャムセ・タブリーズ・ジャーミィ』の文字が目に飛び込んできました。

シャムセ・タブリーズ。
彼はルーミーが30代半ばの頃、当時父親の後を継いで高尚な説教師であったルーミーの中に眠る高い精神性を開眼させたと言われている人物。
イランの西にあるタブリーズという町の出身で、子どもの頃から神を追い求め、旅をしている最中、ダマスカスのスーフィー教のマスターからコンヤに行くように言われます。
そしてそこでルーミーと出逢います。

シャムセに出逢ったルーミーは、そのときからシャムセを師と仰いで、それまでルーミーが行って来た形式的な説教や生活態度を放棄し、シャムセと日夜道場に籠もり修行を行ったそうです。
ルーミーの弟子やコンヤの人たちは、そんなルーミーの変化に戸惑い、その矛先は『怒り』と『嫉妬』という形でシャムセに向けられ、シャムセは一度コンヤを去りますが、再びコンヤに戻ります。
しかしその後ルーミーの息子や彼の弟子たちにより殺害され、その遺体は井戸に投じられ、その井戸があった場所というのが、この『シャムセ・タブリーズ・ジャーミィ』だと言われています。

シャムセ・タブリーズ・ジャーミィ。
ドームの形は丸形ではなくて八角形。

そんな話しを思い出してシャムセの名前を持つジャーミィへ向かうと、迷うことなくすんなり到着。
小さくて地味なジャーミィでしたが、その空間はとても穏やかでした。
『祈りの場』という空気がジャーミィ全体に流れていたので、内部の写真を撮ることは出来ませんでしたが、シャムセのお墓の側にいると、不思議なことが起きました。

私が入って間もなく、一人のイスラム教徒らしき男性がシャムセのお墓の前に座りお祈りをしていたのですが、お祈りが終わると立ち上がり、「ムー」と、まるで『オーム』のような音を発しながら、立入禁止を意味するであろう柵を飛び越え、シャムセのお墓の横に行くと、近くにあったコーランを乗せる台座を出して、その上にコーランを開きました。

その間も、ずーっと「ムー」は続いています。

私自身も何だかとても厳かな空気に包まれて、柵の外でしたが、共に座りしばらくその人の「ムー」に集中していると、一人の男性が柵に近づいてきてこう言いました。

「ここは立入禁止です。どんな理由があろうとも、一般の方は入れませんので、どうぞ柵の外に出てください」
恐らくこのジャミィの管理人でしょう。
管理人にそう言われても、その男性は直ぐには立ち上がらず、しばらくその場で「ムー」と共に祈りを唱えていたと思います。
やがて、「ムー」が聞こえなくなったと思ったら、男性は柵から出て来ました。

その間およそ7、8分ほど。

そのことを友だちに話すと、「その人はシャムセの魂を揺り起こしたかったのかなぁ」と笑いながらそう言いました。
そうかもしれないね、と私も笑って答えましたが、あのときその人の発した「ムー」という音は、私の身体の中心を確かに突き抜けており、自分がそのジャーミィと一体化したような不思議な感覚を覚えました。


その後、ルーミーの眠る『メヴラーナ博物館』へ行ったのですが、人が多くて落ち着かず。
でもミュージアムショップで探していた本が見つかり、混雑している博物館を後にして、その日の午後から夜の飛行機の時間まで、ずっと本を読んで過ごしました。

『自分の中に存在する空しさにも関わらず、私は決して希望を失うことはなかった。』

今読んでいる本の中でシャムセが言った言葉ですが、私も自分の中に感じている『空いた感じ』を埋めに、今回コンヤに行ったように感じていますし、シャムセのお墓で体験したことが、私に何かを与えてくれたように感じています。
それが今は何なのかは分からなくても、一つ一つ、毎日目の前で起きる現実に向き合い受け止め、自分の一部とすることで、その先にある、本来の自分が求めているものが見えてくるのかもしれません。

シャムセの意味は『太陽』。
この日撮った写真のほとんどに、強い太陽の光が映っていました。

シャムセが殺された後、彼が殺されたことを知らないルーミーはシャムセを探しますが、あるとき探すことを止めます。
そのとき、ルーミーはこう言いました。

『私は彼(シャムセ)なのだから、何故私が彼を探す必要があるのだろうか。私はまるで彼のようだけれど、私の言葉で話すであろう。もしあなたがあなたのシャイフを熟知しているのなら、神のことも隔たりなく熟知するであろう。』


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2015年7月28日火曜日

The 4th Week of July -- 7月の第4週

バイラムが明けてからの1週間。

色々なことがあり過ぎて、何をどこから書いて良いのか、、、
書いては消して、また書いては消して。
この1週間はそんな毎日を過ごしていました。

日本でも報道されていると思うのでご存知の方も多いと思いますが、先週の月曜日20日に、シリア国境の町スルチで32名の尊い命が失われた自爆テロが起きた後、木曜日にはスルチからおよそ180キロ離れたキリスで、シリア領域からのISILによる銃撃戦があり、トルコの兵士一人が犠牲に。

家路につく漁師のおじさんに手を振る若者たち。
スルチで犠牲になった子たちの多くは、彼らとほぼ同世代。

それをきっかけに、これまでアメリカ主導の対ISIL有志連合に参加しつつも、軍事行動に距離を置いていたトルコ政府もISILに対する方針を転換し、24日未明、シリア国境沿いのISILの拠点地を3カ所、初めて空爆しました。
その後も空爆は続き、今は陸と空からの監視を強化すると同時に、国内での安全面の強化も全力で行われているようです。

うーん、どうしたものか、、、と思う反面、でもちょっとひっかかることがあって、トルコ人の友だちに聞いてみたんです。

「これってもしかしてAKPの戦略?」って。

6月初めに行われた選挙で現在単独で政権を握るAKPは大敗し、議席も312から50議席以上を失い、その数は過半数の276議席を下回っています。
新聞には連立政権について毎日のように取り上げられていますが、他党と連立を組んだところでAKPが単独で政治を動かすことはできず、そうなると、再選挙で票を奪回することが唯一、AKPが望むであろう『単独政権への道』のように思えてなりません。

今回の一連の事件もですが、それに対する政府の対応も今までになく迅速で、それだけ物事が深刻なのかと思う反面、タイミングが良過ぎるんじゃないか、今のこの時期、AKPにとっては自分たちの政権の強さをアピールする、絶好のチャンスでもあるんじゃ?と、物事の裏の裏を見る私としては思ってしまう、そんな私の意見に対する友だちの答えは、

「当たり前じゃん!」

こういうことに慣れているトルコ人は、今回の一連の物事の成り行きを、冷静に見ているようです。

ちなみに、私の生活は、元々頻繁に出歩く方ではないので、ほぼ今まで通り。
ただ人混みに行くときや、使う交通手段などは、極力注意するようにしています。


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2015年7月20日月曜日

Last Day of Şeker Bayramı -- シェケル・バイラム(砂糖祭)の最後の日に。

1ヶ月間のラマダンも木曜日で終わり、金曜日から日曜日までの3日間、トルコはシェケル・バイラム(砂糖祭)という祝日でした。

トルコは日本に比べて祝日が少なくて、しかも一年のうち連休となるのは、このシェケル・バイラムとクルバン・バイラムのみ。
なので、このときに合わせて休暇を取る人が多く、私の回りも先週の前半から半ばにかけて、海辺や郊外へと脱出していきました。 

毎日良いお天気が続いていますが、
今年のイスタンブールは比較的涼しい夏かも。
 

私は極力人混みを避けて行動したいので、連休中はもっぱら家や家の周辺で過ごします。
これは日本にいたときも同様で、夏休みがフレキシブルに取れる環境にいたため、都内がガラガラになるお盆や年末は仕事をして、飛行機のチケットが安くなる頃に合わせて、休暇を取っていました。

家でPCを使って仕事をしている今は、インターネットさえあればどこでも仕事ができるという、とても恵まれた環境。
旅に出るときはほとんどいつもPCを持って、旅先でも仕事をしています。

で、今回のシェケル・バイラムも、私はいつも通りイスタンブールで。
初日の金曜日は暑さが一段落する頃、ヨーロッパサイドに住む友だちが遊びに来てくれ、昨日は家の近所に住む友だちと、カフェでのんびり過ごしました。

うちの近所、カフェに行く途中で昼寝をする猫たち。
快適な場所は猫に聞け、と言いますが、本当です。

この友だちとは、家が近所ということもあって本当にしょっちゅう会うのですが、話題が豊富で話していて飽きることがなく、また私の話しもいつもジャッジすることなく聞いてくれるので、気分がとても楽。
昨日も、ギリシャ問題から、最近私が始めたカーヌーンのこと、旅のことなど色々と話したのですが、その中でも印象に残っていたのが、アタテュルク初代大統領のこと。

アタテュルク初代大統領は、世俗主義、民族主義、共和主義などを柱としてトルコ共和国の基本路線を敷いたのですが、多くの民族の文化や言語、宗教が交じり合ったこの国では、それはそれは大変なことだったと想像します。
そのために、尊いはずの人の命を含め、信仰、そして民族としての誇りなど、考えられないほどの多くの犠牲があったことでしょう。

ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領。
トルコのお札にもなっています。
(写真はWikipediaより)

大勢が解放される反面、抑圧される人たち。

その矛盾を友だちに話すと、「アタテュルクを崇拝する人たちに、アタテュルクを非難するようなことを言ってはいけないよ」と諭されると同時に、「でも非難ではなく、『疑問』としてぶつけてみるのもいいかもね。君は外国人だから、言い方に注意すれば大丈夫かもしれないよ」とも。

日本の神話によると、日本が建国されたのは紀元前660年と言われています。
細かく見れば違うかもしれませんが、2600年以上前から民族や文化が形成され、建国の際にあったかもしれなr混乱を知らずに生きている今の私たちには、多くのトルコ人がアタテュルク初代大統領に抱く感情は、理解し難いかもしれません。
けれど、前出の友だちも、私の疑問を認めた上で、もしアタテュルクがいなかったら、今のトルコはない、そのときに払った犠牲が大きかったとしても、彼の功績はそれをはるかに上回るものだ、ときっぱりと言いきっていました。

自由に生きられるということは、当たり前のことのようですが、
『自由に生きる権利』を与えられている人たちは、
どれくらいいるのでしょう。
鳥でさえ自由に空を飛べるのに。


現政権を握るタイイップ・エルドアン大統領率いるAKP(公正発展党)は、アタテュルク初代大統領が成しえた『トルコの世俗化』に対しては批判的で、ここ数年、政治に宗教を戻そうという動きが見受けられます。
しかし先月行われた統一選挙でAKPの議席は過半数を割り、エルドアン大統領が首相に就任した2003年より続いたAKPの独裁政権にピリオドが打たれようとしています。

今現在、連立交渉もうまく進んでいない状況で、再選挙の可能性も大いにあり得ると思います。
トルコも岐路にいます。


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2015年7月16日木曜日

New Moon, and Kanun -- 新月、そしてカーヌーン

今日は新月。

新月は新しい何かを始めると良い、と言われていますが、『蟹座の新月』で検索して、ふと目に留まったブログにこんなことが書いてありました。

『新月は「新しいことを始めるタイミング」とよく言われるけれど、じつはそれだけだとちょっと説明が足りない。
新月の極意は、「心と行動がちぐはぐになっていないか、それをここで確認しましょう」ということなのね。
たとえば、痩せたい、痩せたい、って言いながら、揚げ物ばっかり食べてるでしょ?
まずはそれを止めたら?ってこと。
明日(今日)の新月は、そういう 矛盾 が浮き彫りになる日。』

矛盾と浮き彫り。

心当たりがあるこの二つの言葉。

というのも、イスタンブールに引っ越してきて2年が経ち、今までずっと押さえ込んでいた感情とか、言葉では言い表し難い、何だか分からない自分の中の『何か』がどんどん浮き彫りになって来て、そんなこともあるよねと思いつつも、ときどきモヤモヤ、イライラすることも。
特に最近は短期間に沢山のことが起こりすぎて混乱気味な中、だからこそなのか、そこで浮き彫りになって来た『今までとは違う自分』。

色々なことが一区切りつき、正に岐路に自分がある。
そんなときに出逢った楽器、カーヌーン。


以前からトルコ音楽には魅かれるものがあって、道で演奏している音楽に合わせて、みんなで楽しそうに歌ったり踊ったりしているのがとても羨ましくって。
羨ましいのなら、自分もその輪に加わってしまえば良いのですが、「恥ずかしい」とか、「拒絶されたどうしよう」とか、「うまく出来なかったらどうしよう」とか、そういう気持ちが、いつも自分の中から湧き上がる感情を邪魔していたように思います。

カーヌーンは、そんな自分の突破口になるような、そんなことを直感的に感じ、そして行動してみたら、話しがトントン拍子に進み、ひと月ほど前に私にカーヌーンを教えてくれた方が、スペアがあるからと、写真のカーヌーンを親切にも貸してくださいました。
でも、見よう見まねでやってごらんと言われ渡されたものの、何をどうやってよいか分からず。
せっかくカーヌーンが家にやって来たものの、数日間は部屋の隅に置いたまま。
このままじゃだめ!と、とりあえずトルコ音楽を覚えよう!と弾けそうな曲をネットで検索して、今日からまずはそれを練習することにしました。

選んだ曲は、"Duydum ki Unutmuşsun Gozlerimin Rengini"という、トルコ人なら誰でも知っている曲。

カーヌーン、弾くことに集中しているせいか、心が無になります。
出来ないと思ったいたことが、一つ一つできるようになっていくこと。
これからの自分が楽しみ!


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2015年7月12日日曜日

Jurassic World -- ジュラシック・ワールドを観て来た!

先日、友だちから「○○っていう映画が面白かったから、観てきて!」とメールが来て、上映場所をチェックしたところ、家の近くの映画館ではまだ上映しておらず、、、

私、日本にいたときは、最低でも月に1回は映画館に行っていたんですが、イスタンブールに引っ越してから、映画館には一度も行っていません。
というのも、トルコは映画の上映中に途中休憩が入るんです。
しかも、区切りの良い所ならまだしも、丁度半分くらいのところで、突然ブチッと映画が中断されるんです。
半分くらいって、丁度映画の内容も盛り上がっているところじゃないですか。
そこで、ブチッと切れる訳です。

初めてイスタンブールで映画を観に行ったとき、そんなことは知らず映画に入り込んでウルウルしていると、いきなり画面が切れ、館内が明るくなり、周囲の人たちは次々に席を立ち、、、
一体何が起きたのか分からない私を見て、友だちが「休憩だよ」と一言。
その後、何だか映画に集中できず、後日改めてその映画を見るものの、思い出すのは映画の内容よりも、休憩のこと。

それがイヤで映画を観に行くのをずっと敬遠していたんですが、今回は何となく映画を観たいスイッチみたいなものが入って、きっとそんな私のトラウマを払拭してくれるであろう『ジュラシック・ワールド』を観て来ました。


日本ではまだ上映されていないので、余り詳しく書くとネタバレになってしまうので書きませんが、私的にはかなり好きな作品です。

今回この作品の中心となるのは、遺伝子操作されたハイブリッド恐竜、インドミナス・レックス。
ラテン語で『獰猛かつ制御不能な王』という意味の名前を持つこの恐竜は、恐竜の王と言われるティラノサウルスをベースに複数の恐竜や現生生物のDNAを組み合わせて誕生させられます。
きょうだいが1匹いたのですが、成長期にそのきょうだいさえも食べてしまい、普通野生の動物は補食もしくは自分の命が危険にさらされたとき以外は他の生物を襲わないものですが、このインドミナス・レックスはまるで殺しを楽しむかのように、草食で大人しいアパトサウルスを次々と殺します。

知能も非常に高く、次々と人間の予測を超えて暴走する、インドミナス・レックス。

単なる娯楽映画ではなく、私はこの映画の中に深いメッセージを感じました。
それは、『人類に対する警笛』みたいな。

人間の知能も、その知能から産み出される技術も発達し過ぎ、より強いものを求めすぎるあまり、バランスを失い、一方に傾き過ぎて暴走してしまっている人類。
私はインドミナス・レックスに、そんな今の私たちを見たような気がしました。

映画の後半に、続編を予測させるような出来事があったので、恐らくスピルバーグ監督はその続編を通して次のメッセージを発信してくるかもしれません。
そしてそのメッセージも、これからの私たち人間の行動次第で、変わってくるのかもしれません。
スピルバーグ監督が予測する未来とは?

そして余談ですが。
映画の中にヴェロキラプトルという恐竜が出て来ますが、実はこれ本当は『デイノニクス』という別の恐竜なんだそうです。
スピルバーグ監督は単に『ヴェロキラプトル』という名前が気に入って、名前だけを採用したとか。

(写真はidegitaltimes.comより)

ヴェロキラプトルの大きさはコヨーテほどだったと言われいますが、実際に映画に出て来るヴェロキラプトルは明らかにそれより大きい。
一方、デイノニクスは発掘された化石から2.5メートルから4メートルほどあり、恐竜の中では大きな脳を持ち、知能も高かったそうです。
また化石も集団で発掘されることから、群れで行動していたと推測されています。
名前はヴェロキラプトルとされていますが、映画に登場するこの『ラプトル』は、デイノニクスが正解でしょう。

しかし、映画の途中からずっと気になったのが、主役のクレアがハイヒール(しかもピンヒール)を脱ぐことなく、ずっと全速力で走っていたこと。
私だったら、絶対に無理(笑)

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2015年7月11日土曜日

Gabriel -- 大天使ガブリエル

夏至が明け、今年の後半はどう過ごそうかと思っていた矢先。
短期間に色々なことが起こり、ちょっと気持ちを整理するために、昨日は久しぶりにアヤソフィアへ行ってきました。

世界中のどこへ行っても、やはり一番好きなのは、
ここ、アヤソフィア。

アヤソフィアは私にとって特別な場所。
観光客としてトルコに来ていたときは、「またイスタンブールに戻ってこれますように」という願掛けのような気持ちで毎回必ず訪れ、イスタンブールに引っ越した当初は、辛いこと、悲しいことがあるとその気持ちを慰めてもらいに、そしてしばらく前からは、気持ちの整理をつけたいときに必ず行きたくなる場所です。

そのときの気持ちによって、
見えて来る風景がいつも違う。

昨日は、夏だというのにラマダン(断食)の影響か館内はガラガラ。
もしかしたら今まで行った中で一番空いていたかもしれません。
外の気温は30度を越す暑さでしたが、館内はひんやりと涼しく、沢山の窓から差し込む太陽の光が館内のところどころを優しく照らしていました。

久しぶりに館内をゆっくりゆっくり歩きながら、ふと引かれる場所で足を止め辺りを見ると、そこには必ず新しい発見があるのがアヤソフィア。
そしてこの日は普段ではありえないことが起きました。

この日は本当に空いていて、時々周囲に誰もいなくなる。

2階のお気に入りの場所から、一番好きなモザイク画の『大天使ガブリエル』を眺めているとき、その先にある立入禁止の場所に人が二人、入っているのに気がつきました。
あれ?あそこはロープが張ってあって入れないはずなのに、、、と思ってみて見ると、ロープの一部が外れている!
誰かが誤って外してしまったのが、そのままになっていたのかもしれません。

入ろうか、入るまいか。
一瞬そんなことが頭をよぎったものの、それより先に身体はすぐそれに反応し足早に立入禁止内へ!

心臓が口から飛び出しそうなくらいドキドキしました、ホント。
立入禁止が見つかったらどうしよう。
いいえ、そんなことは微塵も思いません。
だって、ロープが開いていたんだもの。
ドキドキしたのは、そこから見えるドームの景色を想像したから。
『おいで』と導かれるように立ったその場所からドームを見上げた瞬間、無の世界に包まれたような感覚がありました。

大天使ガブリエルを真正面から。

光り輝く大天使ガブリエル。
私が最も好きな天使。

いつもはこの角度から。

四大天使の一天使であるガブリエルのお役目は、神の言葉を伝えること。
そしてその名前、ガブリエルは『神の人』という意味。
聖書の中でも沢山の預言者に神の言葉を伝え、またイスラム教においても預言者ムハンマドに神の言葉であるコーランを伝えたのも、このガブリエル(イスラム教ではジブリール)だと言われています。
そのためか、何かを知りたいとき、ガブリエルに問いかけると教えてくれると言われています。

マリアに受胎告知をしたのも、このガブリエル。
神様のメッセンジャー。

混沌とした町イスタンブールで毎日を過ごしていると、沢山のことが聞こえたり見えたりし過ぎて答えを見失いそうな気がしていましたが、でも実はその逆で、そういう環境だからこそ、見えて来る本当のものがあると最近気付きました。
ガブリエルが私に伝えたかったこと。
少し混乱している今は分からなくても、そのときが来れば、きっと見えて来ることでしょう。


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2015年7月1日水曜日

Sami -- サーミ人

私が今回ラップランドへ行ったのは、『白夜のラップランドで夏至を過ごすため』だったのですが、もう一つ、ラップランドの先住民族、サーミ人の生活を見てみたい、という目的もありました。

土地はいくらでもあるけれど、
管理出来る範囲内で暮らす。

サーミ人のことを知ったのは、前回ラップランドを訪れた際に、今回滞在したイナリにある、SIIDAに行ったのがきっかけ。
イナリに着いて「サーミ人の今の生活を見てみたい!」とイナリのツーリストセンターでもあるVisit Inariで相談すると、月曜日にツアーがあると言われ、それに参加することに!

Mutus湖。
この湖にも聖なる岩があるそう。
かつて自然崇拝していた時代のなごりですね。

泊まっているホテルから車でおよそ20分のところにある、Mutus湖のほとりに、サーミ人のトゥーラさんの住む家はあります。
敷地面積はおよそ1.5平方キロメートル。
敷地には小さな家や畑、サウナなどがありましたが、その大部分は自分たちの食肉用に育てているトナカイを放牧する土地。

草をついばむ親子のトナカイ。

トナカイは人類が最も古く家畜化した動物の一つであり、食用としても、またそりを引く使役や荷役としても利用されてきました。
また寒さにとても強い動物で、マイナス70度まで耐えられるとか。
そして面白いことに、白夜と極夜のあるオーロラベルトに分布しているせいか、トナカイは体内時計を持たないそうなのです。
太陽が沈まない白夜でも、逆に太陽が昇らない極夜でも、彼らは太陽に左右されることなく生きられるよう、自然のリズムに順応していったのです。

すごい、トナカイ!

サーミ人の伝統的な冬のブーツ。
素材はトナカイ。全てハンドメイドです。

トゥーラさんのお宅で飼われているトナカイは食用なため、食べられるところはもちろん全て食べ、食べられない部位も、毛皮は敷物や靴、腱は靴を作る際の糸として使っているそうです。
私たちが訪れた際も、スネと頭の肉から作ったという煮こごりを食べさせていただきました。
味付けは?と聞くと、塩、コショウ、そして森で採れたハーブを少し、とのこと。
本当にシンプルな味付けですが、クセもなく美味しくいただきました。

トナカイのスネと頭の肉から作った煮こごり。

もちろん現在では、トゥーラさんのようにほぼ自給自足で暮らしているサーミ人は少なく、多くは私たちと何ら変わりのない生活をしているようです。
かつて『太陽の息子と娘』と言われ、自然を崇拝し、シャーマニズムの世界で生きていたサーミ人も、時代の変化とともに、宗教もライフスタイルも変えざるを得なかったのでしょう。
それが、生きるということなのでしょう。

伝統的なベルトを織る様子。
トゥーラさんはこういう作業よりも
外での作業が好きなんだそう。

けれどサーミ人のすごいところは、一度は国(ラップランド)を分断されたにも関わらず、その後国境を越え民族として団結し、現在では政治的立場を確立しているところです。
また彼らの母国語である『サーミ語』も、サーミ人の土地にある小中学校ではサーミ語で授業が行われているそうです。

母国語を失うことは、その民族のアイデンティティを失うことに繋がります。
ネイティブアメリカンをはじめ、多くの原住民がその母国語をを失うことで自分たちのアイデンティティを失い、文化や伝統を存続出来なかったことを思うと、サーミ人の自らの努力による民族の回復は、とても尊敬できることだと思います。


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