2015年1月29日木曜日

Not In My Name -- 『イスラム国』は真のイスラム教徒ではない

"Islamic State"による日本人拘束事件、今月6日のスルタンアフメットでの自爆テロ、そしてその翌日、パリで起きたシャルリー・エブド社襲撃事件。

すべてイスラム教徒による犯行から、『イスラム教』=『過激で危ない宗教』と、9.11のときのように、そう思っている人たちも多いだろうなぁ、、、と思っていた矢先に、イスラム教徒たちが、『ISIS (Islamic State of Iraq and Syriaの略)』に反対!と訴えている、Not In My Nameというキャンペーンがあることを知りました。


この動画が公開されたのは、昨年の9月。
"Not in my Name - Muslims against ISIS"(私は反対です−イスラム教徒はISISに反対です)と題されたこの動画の中で、登場しているそれぞれの人が、反対意見を述べています。

「彼らは全くイスラム教的でない」
「彼らは無実の人たちを殺している」
「あなたたちは不正だ」
「あなたたちのしていることは、非人間的だ」
「あなたたちには、慈悲というものがない」
など。

私個人も、正直な話し、こうやってトルコというイスラム教の国に来るまでは、中東=いつも戦争が絶えない地域、イスラム教徒=過激な人たちが多いと、完全にメディアからの情報に感化されていました。
でも大学時代の友だちにトルコ人がいて、彼らがとっても穏やかだったことをことあるごとに思い出し、2009年に実際に来てみたら、全く違っていた。

ああ、こうやって人は間違った情報を信じ、繰り返し擦り込まれることで偏見を持つようになるんだと、そのとき実感しました。

それに、『イスラム国』っていう日本語の名称自体も良くない。
こう呼ぶことで、『イスラム国』=イスラム教の国全体、と勘違いしてしまう人も多いのではないでしょうか。
Wikipediaで見ると、その名称について日本政府もかなり苦労した様子が伺えますが、何でも日本語に訳そうとせず、そのまま『イスラミック・ステート』にしちゃえば良いのじゃないかと。
そもそも、この集団は独立宣言こそしていても、それを国家と承認している政府はないわけで。
ならば、それに対する適切な日本語訳も考える必要はないんじゃないかと、個人的に思うのです。

『イスラミック・ステート』のような蛮行を行う人たちはごく一部。
多くのイスラム教徒は、私たちとほとんど変わらない暮らしをしています。
私もイスタンブールで、いつものような毎日を、猫とともに過ごしています。

人質となっている後藤さんが、一刻も早く無事に解放されますように。

2015年1月24日土曜日

People in Town -- 町のひとたち

今年のイスタンブールの冬は、「ものすごく寒い」冬になるはずだったのですが、ここ数日はまるで春のような暖かい日が続いています。
昨日も今日も、コートを着ていると汗ばむほど。
半袖の人や、素足にスニーカーなんていう出で立ちの子も、今日は沢山見かけました。


今日はヨーロッパサイドへ渡る用事があったのですが、地下鉄に乗っていたとき、隣の車両から3歳くらいの小さな子どもを連れた女性がやって来ました。
花柄のワンピースに、素足にサンダルと言う服装から、恐らくジプシー。
その女性はよく見ると20歳に行っているかいないかというほど若い女性で、お腹の膨らみ具合から、妊娠後期、もしかしたら臨月だったかもしれません。
連れていた幼い子も、その子の妹か娘か。


トルコ人は、バスや電車の中で年長者や女性に席を譲る人がとっても多い国、というか、それが当たり前の国で、私も何度かトラムヴァイや地下鉄で席を譲ってもらったことがあります。
最初は、すごくショックでしたが、友だち曰く、「女性だから」なんだそうです。
このときも、彼女が通り過ぎた後、若い男性が初老の男性に席を譲っていました。

けれど、誰も彼女には席を譲りません。

まるで彼女の存在に気付かないかのような、見えていないような、そんな雰囲気さえ感じると同時に、私自身も彼女の存在に気付いてはいても、見ないようにしている自分がいました。
目が合ったら物乞いされるんじゃないか、そんな気持ちがあったからかもしれません。
今の日本では生活の中に物乞いの人がいるなんてことは無いと思いますが、それが当たり前の生活の中では、物乞いされたらどうしようとか、可哀想といった感情が湧き上がる以前に、無意識に自分の中に入って来ないようにしているのかもしれません。

花売りのジプシーのおばちゃんとふれあう高校生たち。
こういう風景は心が暖かくなります。

無関心ではありたくないのですが、解決の答えが見つからない問題。
そしてそこから見えてくる、この問題の向こう側にある更なる問題。

以前シリアから避難してきた友だちが、「道で自分の国の避難民を見ると、目を背けてしまう」と言った意味が、少しだけですが分かるような気がしました。

今日の月。
ほそいほそい三日月。

路上で物乞いをする人たちの数は、私がイスタンブールに引っ越して来た2013年夏に比べ、劇的に増えています。
そのほとんどがシリアからの難民。
彼らが再び、故郷に帰ることができる日は、来るのでしょうか。

私はそんな日が一日も早く来てくれることを、祈っています。

2015年1月19日月曜日

To Kanlıca -- カンルジャへ

友だちとたっぷり歩いた翌日の土曜日は、朝から雲一つない良いお天気!

最初プリンスズ島に行こうかと思ったのですが、友だちがヨーグルトが好きだと言うので、ボスポラス海峡沿いにあるカンルジャという町へ、ヨーグルトを食べに行ってきました。

観光シーズンには、カンルジャに到着すると
ヨーグルト売りのお兄さんが船に乗って来ますので、
そのときにはフェリーの中で食べることも可。

ヨーグルトというと大概はブルガリアを思い浮かべると思いますが、トルコ人によるとここカンルジャがヨーグルト発祥の地で、ブルガリアへはここのヨーグルトが持ち込まれたとか。
インターネットで調べてみると、ヨーグルトの発祥はブルガリアとする記事が多いものの、『ヨーグルト』という言葉の語源はトルコ語だし、その製法もトルコ式。

この日はお天気の週末とうこともあって、カフェの外も中も人でいっぱい。

ヨーグルトは、元々は動物の皮で出来た袋の中に搾った乳を入れたものが発酵したのが始まりと言われています。
それを思うと、遊牧民だったトルコ人が偶然出来たヨーグルトをそのようにして持ち歩き広めた、というのが自然な流れではないでしょうか。
そもそもブルガリアもかつてはオスマン帝国の領土だったし。

で、肝心のカンルジャのヨーグルト。
とにかく、美味しいのです。

友だちは中サイズではちみつ、私は小サイズで粉砂糖。
それぞれ11.5リラ、5.5リラ。
さっぱりしていても、表面に膜が張ってる。美味しい!

トルコ人はヨーグルトをとても沢山食べるので、スーパーでも沢山の種類が『キロ売り』されていますし、ヨーグルトを作っている家庭も沢山あります。
でもここのヨーグルトは私がこれまで食べた中でも、ダントツにうまーい!
乳くさくないし、酸味もやわらかで、とにかくさっぱりしているのです。
そしてヨーグルトのトッピングには、粉砂糖、ハチミツ、ジャムの3種類から選べますが、ここでは絶対に『粉砂糖』がオススメ。

向こう側の大きな船はエミノニュ行き。
手前の黄色い小さな船は、海峡を横断する水上タクシー。
確か5リラくらいだったかな。

ヨーグルトを食べた後は、丁度エミノニュ行きのフェリーがあったので、プチボスポラスクルーズを。
お天気の良い土曜日とあって、ガラタ橋の上は釣りをする人がびっしり。

ところ狭しと、人、人、人!
こんなにくっついて釣りして、糸が絡まないのかしら?

向こう側に見えるのは、
先日行ったスレイマニエモスク。

イスタンブールにいらした際には、是非カンルジャまで足を伸ばしてヨーグルトを食べてくださいね、粉砂糖で!


カンルジャ (Kanlıca) へのアクセス方法
《バスで》
  ウスキュダルから15番のベイコズ (Beykoz)行き、カンルジャで下車。
  バス停から来た道を少し戻ったところの右側(海側)。
《フェリーで》
  冬時間の今はアナドルカバウ (Anadol Kabağı)を往復する便は一日一本。
  片道15リラ、往復25リラ。
  時刻表: http://www.sehirhatlari.com.tr/tr/seferler/uzun-bogaz-turu-362.html

2015年1月17日土曜日

6.2 km -- 6.2キロ

2日から遊びに来てくれた友だちと入れ替わりに、8月にパリで知り合った日本人の女の子が、火曜日からイスタンブールに遊びに来てくれています。

スレイマニエ・モスクの猫。

旅慣れた彼女。
ガイドブックやネットで紹介されているところは一人で行けるだろうと思い、ならば、普通の観光客が行かないところを案内しよう!と、昨日はイスタンブールの旧市街でも、ディープな地域を歩いて来ました。
今日歩いた距離は、およそ6.2キロ。
でも途中道に迷い、地元の人に助けられながら歩いたので、実際には10キロ近かったかも。

どこかで見たなぁと思ったら、
Soner SarakabadayiのPVで使われていました。

まずエミノニュからバスに乗って向かった先は、The Church of St. Mary of the Mongols、モンゴルの聖マリア教会。

ここは常にドアが閉まっているので、中に入れないと思われがちですが、いつでも見学可能です。
でもこの日対応に出た女性から、「今日は閉館」と言われ一時は諦めかけたものの、『そんなことはないはず』と再度交渉し、二度目で無事に中に入ることができました。
そんなことって、、、と思う方もいるかもしれませんが、人によって対応が違うのはトルコではままあること。
無事に中を見学できたし、その女性もその後は気持ち良く対応してくれたので、まあいいか、と。

古い町の生活の一シーン。

そしてその次に向かったのは、Fethiye Museum、フェティエ博物館。
この博物館は小さいながらもアヤソフィア博物館やこの博物館のすぐ近くにあるカーリエ博物館と同様に、かつては教会として建てられ、内部には小規模ながらもモザイク画が残されています。

フェティエ博物館。

規模は小さいながらも、保存状態も中々良いです。

この後は、今回のメイン、カーリエ博物館へ。


大好きなフレスコ画、アナスタシス。
キリストの容姿がとても精悍。

カーリエ博物館はアクセスが良くないのですが、以前ブログでも紹介したように、内部に残されたモザイク画はアヤソフィア博物館のそれを上回ると、個人的に思います。
またここのフレスコ画もとても保存状態が良く、特にパレクレシオンにあるアナスタシス(復活)のキリストはとても精悍で、個人的に大好きな作品の一つです。

ヴァレンス水道橋

この後、ヴァレンス水道橋を通って、トルコの建築家、ミマール・シナンが親方になる前に設計したスレイマニエ・モスクへ。
スルタンアフメットにあるブルー・モスクはブルーが基調なのに比べ、スレイマニエ・モスクは赤が基調。
シナンが後に設計し、2011年に世界遺産に認定されたエディルネにあるセリミエ・モスクもそうですが、赤を基調としたこの二つのモスクに、私は何となく温かみを感じます。

スレイマニエ・モスクから新市街を望む。

赤が基調なせいか、ライトアップされると
メインドームがピンク色に。


内部を見学して、外に出たとき、4度目のお祈りの時間を知らせるエザーンが聞こえて来ました。
日没直後の深い青い空の下、中庭に響き渡るエザーンを聞いていると、改めて『中東』を身近に感じました。

美しくライトアップされるスレイマニエ・モスク
高台にあるため、エミノニュやカラキョイからも良く見えます。

イスタンブールは、やはり足で歩いて町のあちこちに散りばめられた古い時代を、肌で感じるのが一番!

2015年1月12日月曜日

Ben Beyaz Kapadokya -- 真っ白なカッパドキア

先週、日本から遊びに来てくれた友だちと一緒に、カッパドキアに行ってきました。

チャウシンの岩窟住居。
かつてはここに人が住んでいたそう。

トルコ人の友だちからは、冬のカッパドキアは寒いし雪が降ったら気球も飛ばないけれど、でも雪化粧したカッパドキアは最高に綺麗だよ、と聞いて朝早くイスタンブールを発ち、カッパドキアへ着くと、天気は晴れ。
けれどその日の夜から雪が降り始め、翌朝窓を開けると、そこには真っ白なカッパドキアが!

真っ白なギョレメパノラマ。
これまで何度も見て来たけど、
この日のギョレメはとても神聖な感じがした。

到着したその日のうちにタクシーでギョレメ近辺の観光スポットは全て周ったので、2日目はツアーに入らず、1日目のタクシーの運転手さんにお願いして、自分たちが行きたい場所に連れて行ってもらいました。

カッパドキアは見所が多いのですが、中でも私が一番好きなのはパシャバー。

雪のパシャバー。
静か過ぎて、雪の音が聞こえるほど。


カッパドキアははるか昔、エルジエス山とハサン山の噴火によって出来た町。
度重なる噴火により降り積もった火山灰が何層にもなり、それが雨や雪、風により浸食され、あのような二つとないユニークな町を創り出したのです。
その様子がとても良く分かるのが、このパシャバー。
今回一緒に訪れた友だちも、このパシャバーをとても気に入り、初日に続き、2日目も雪のパシャバーを見に行きました。

右端の上の部分が落ちそう。
かつては右のように首の部分がしっかりとあったはず。
パシャバーは奇岩の変化が良く観察出来て、本当に面白い!

タイムスリップしそうなスポット。
カッパドキアは磁場が強いみたいで、
滞在中はずっと耳が詰まりっぱなし。

前日、青空を背景に見た世界とは全く違う世界のパシャバー。
特にこの日は奥の方に行く人は全くいなかったようで、雪がしんしんと降る中、奇岩に囲まれていると一体どこにいるのか分からなくなるほど。
そんな中、小さな鳥が飛んでいたり、木々の蕾が膨らんでいるのを見ると、そこに生命の温度を感じたり。

前日のパシャバー。
気温は低かったけど、太陽の光が温かかった。

浸食している様子が良く分かる。

カッパドキアの『天の岩戸』?

スターウォーズの世界。

そして今回初めて行ったデリンクユ地下都市。

ここから地下85メートルまで、Let's go!

この地域には複数の地下都市があると確認されていますが、現在公開されているのはデリンクユ地下都市と、そのすぐ近くにあるカイマクル地下都市の二つ。
いずれも作られた年代ははっきりしていないようですが、紀元前から存在し、ローマ帝国から逃れた初期のキリスト教徒たちがここに隠れ住んでいたと言われています。

地下深くに住めたのは、この通気口のお陰。
吸い込まれそう。

収容人数はおよそ2万人。
容易に侵入できないよう、ところどころに石の扉が配置され、通路は狭く一人通るのがやっと。
しかも天井が低いため、大抵の大人は腰を屈めなければなりません。
構造もまるで蟻の巣のようで、構造を熟知していないと、迷うことは必須。
私たちも何度迷ったことか。

ところどころにある、石の扉。
重さは5,600キロあり、外側からは開かない仕組み。

そして一番下の一番奥にお墓がありました。
入り口はライトアップされていましたが、中にはライトはなく真っ暗。
それでも私は何となくそこに誘われているような気がして、懐中電灯を灯し中へ。

低い通路を屈みながら歩いているとき、少し緊張しましたが、通路を抜けてお墓のあった空間へ出ると、ふわっと温かい空気に包まれた気がしました。
お墓の主は誰かは分かりませんが、地下の一番奥の奥にあったということは、やはり身分の高い方だったのかと。
お墓のあった場所に手を合わせ、地上を目指しました。

地上に出る手前で撮った写真。
雪と一緒にお墓の主が降りてきたのかな?

その後、地上を目指す途中で撮った中にこんな写真が。
お墓の主が、ちょっと降りて来てくれたのかもしれませんね。

ちなみに、これは私の主観ですが、お墓内部に入っても、そこで写真は撮らない方が良いと思います。

*今回泊まった宿
Vezir Cave Suites
  Gaferli mah unlu sok. 50180 Goreme, Nevesehir
  Website:  http://www.vezircavesuites.com/

2015年1月11日日曜日

At Sultanahmet, and then at Paris -- スルタンアフメットで、そしてパリで。

日本でも、既にテレビ等で報道されているのでご存知の方も多いと思いますが、先週の1月6日午後5時20分頃、イスタンブールのスルタンアフメット歴史地区の中心部にあるツーリストポリスで、自爆テロ事件が起きました。

写真は、BBC.comより

犯人の女性は即死。
20代半ばのその女性は、妊婦だったそうです。
そしてツーリストポリスで「財布をなくした」と英語で言ったその女性に応対した二人の警官のうち一人は、搬送先の病院で亡くなられました。
亡くなられた警官はまだ32歳。
2ヶ月ほど前に女の子が生まれたばかりだったそうです。

写真は、BBC.comより

この事件直後に、反政府極左組織の『革命人民解放党(DHKP/C)』が犯行声明を表明しましたが、9日になってその表明を撤回しています。
誰が何の目的でこの事件を起こしたのか、犯人の女性についても実名が報道されたものの確認は取れておらず、今のところ詳しいことは分かっていないようです。

言論の自由、反テロリスト行為、犠牲者への追悼を宣言する、
"Je suis Charlie"。
(写真は、ロイター社より)

そして、その自爆テロ事件の翌日、今度はパリ中心部、マレ地区の近くにある、新聞社シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)本社で、イスラム過激派とみられる人たちによる襲撃事件が起こりました。
シャルリー・エブド社はこれまで何度もイスラム教を題材とした風刺漫画を掲載しており、そのため関係者は絶えず殺害すると強迫され、警察の護衛対象になっていたとのこと。
事件前日の新聞にも、イスラム過激派を挑発するようなイラストが掲載されていたことから、イスラム教を風刺することに対する抗議行動が、このような行き過ぎた形となってしまったのかもしれません。

この襲撃事件で亡くなられた12名の犠牲者のうち一人はイスラム教徒だったそうです。

9日に友だちとタクシムへ出掛けると、
フランス領事館の前に人々が集まっていました。
警察も近くに待機していたので、この後抗議活動があったのかも。

私にとっては、どちらもとても思いの深い場所。
自爆テロ事件のあったツーリストポリスは以前一度行ったことがあったし、今回の事件の前日も日本から来た友だちとそのすぐ側を歩いたばかり。
パリのマレ地区は私がパリで一番好きな場所で、現場の近くには美味しいパン屋さんがあったことを、地図を見て思い出しました。
そんな場所でこんな事件が起きるなんて、とても悲しいことです。

亡くなられた方のご冥福をお祈りすると同時に、このような暴力行為が一日も早く無くなることを切に望みます。

2015年1月6日火曜日

With a Friend from Japan -- 日本の友だちと

今、日本から遊びに来てくれた友だちと、毎日イスタンブールをのんびり散策しています。

友だちは、今回初トルコ。
アヤソフィア博物館から始まり、カーリエ博物館、ブルーモスク、地下宮殿を見学し、明日からはカッパドキアへ行ってきます。

左手に見えるのは、大天使ガブリエル。

今年初のグリちゃん。
今年もよろしくね。

カーリエ博物館のモザイク画。
モザイク画が好きな方は、ここは必見!

ここ数回、中々入れなかったブルーモスク。



幻想的な地下宮殿。

今日は日中は良いお天気でしたが、気温は低め。
明日からお天気が崩れるようで、カッパドキアは予報では雪とのこと。
けれどトルコ人の誰もが、「雪景色のカッパドキアは特別に美しいよ!」と言います。
私もこれまで3回カッパドキアへ行きましたが、冬は初めて。

太陽の光が強い。
日輪と虹。

雪がなくてもまるでおとぎの国のようなカッパドキアが雪でどう変身するのか、とても楽しみです。

2015年1月2日金曜日

The First Dream of 2015 -- 2015年の初夢

初夢とは、元旦の夜に見る夢。
しばらく前までは、記憶はあるものの思い出せない夢ばかりを見ていたのですが、ここ最近はとても鮮明な夢をよく見るようになりました。

うちからは日の出が見えないので、日の入りを。
でもこれは数日前のもの。
ここしばらくイスタンブールの天気は荒れ模様。

そんな中迎えた元旦の夜。
初夢、見ました!
夢の内容を話してはいけないという説もあるので詳しくは書きませんが、出て来たのは、『人間関係』を象徴するような『もの』と『人』。

昨日のエントリーで、『物事はそう思うからそうなる』と書きましたが、夢も同じです。
夢の中に登場したものを、顕在意識で判断するのではなく、夢の中で自分がどんな気持ちでいるかが、夢の本質なのではないかと私は思います。

例えば、カラス。
日本では多くの人がカラスを『不吉な生き物』だと言います。
恐らくそれはカラスの色も関係しているかもしれません。
黒という色は、闇を現すことが多く、そこに何があるか分からない『闇』に、不安を感じる人も多いと思います。

ある日、東京のオフィスで仕事をしているときに
やって来たカラス。
お昼ご飯を分けた後、おやつも食べに来ました。

逆に白い鳩。
これは平和を象徴しますね。
白という、曇りや汚れのない色は、何もかもがクリアで黒とは真逆の意味を感じる人も多いでしょう。

猫も好き嫌いがはっきりしている生き物ですね。
私はかれらの柔軟できままなところが大好きです。

イスタンブールで空高く飛んでいるのは、
この大型のカモメ。
飛んでいる姿は近くで見ても迫力あります。

人はほどんどの場合、既成概念や固定概念によって、自分の身に起こった様々な出来事をそれと結びつけ、そう思い込んでしまいます。
先出の黒いカラスもそうですよね。
カラスの夢を見たから不吉なことが起きるかもという思い込みによって、何か自分にとって良くないことが起きると、それを『不吉』だと思い込んでいるカラスに結びつけて、カラスはますます悪者になってしまいます。

カラス、かわいそすぎます。

以前ロイにカラスは何を象徴するの?と聞いたところ、カラスは見えない世界へ行ける動物だ、と言われました。
全ての創造物は偉大なる意味をもつとするネイティブアメリカンの間では、黒い姿のワタリガラスは、世界に光をもたらした存在。つまりワタリガラスの存在がなかったら、この地球は未だ闇に包まれていた、というのが彼らの伝説です。

私は空に自分の意識を投影したり、
動物の行動から何かを受け取ることが多いので、
何時間でも見ていて飽きないのです。

夢は潜在意識の現れです。
普段自分が意識していないことが『夢』という意識に出て来るわけですが、先にも書いたようにポイントは、そのとき自分はどう感じているかです。
そこにまだ怒りや恐怖などを感じるときは、それに対する執着が残っているのかもしれません。
けれど、それをジャッジせず観察している自分であったら、物事はすべて自分の取り様です。

彩光。虹色はワクワクのもと。

私が今回見た夢は、まるで昨日の火事の続きを意味するようなものでした。
夢の内容をちょっと話すと、それは何かを作っている夢。
火が全てを焼き付くし、再生を意味するならば、まさに作ることは再生です。
今年は他にも、新しい出逢いを象徴する出来事が届いているので、それらを楽しみに毎日を過ごして行こうと思います。

みなさんの初夢はいかがでしたか?