2014年10月31日金曜日

Cumhüriyet Bayramı Gününde -- トルコ共和国記念日に

一昨日はトルコが共和国になってから91回目の記念日で祝日でした。

先週末からあちらこちらで国旗が掲げられ始めました。

町中がトルコの国旗やアタテュルク初代大統領の顔がプリントされた旗でいっぱいになり、国民に自由を与えたケマル・アタテュルクは、没後75年以上経った今でもトルコ国民にとってはヒーローなのだと、改めて感じさせられました。

カドキョイのフェリー乗り場前もこの通り。
没後75年以上経った今でも、その人気は未だ衰えない。

私は夕方になって、いつも行くカフェで友だちと待ち合わせてお茶をした後、うちから少し北に行った、ヴァリデダー・コルスで、『モスク建設反対』のデモがあるというので、友だちと一緒に出掛けてきました。

アタテュルク初代大統領は、トルコを共和国とする際に政治と宗教を分けたのですが、現トルコ大統領兼首相のタイイップ・エルドアン氏は、それとは逆に再び政治と宗教を結びつけようとしており、イスタンブールに新たなモスクの建設を計画してます。
今回私たちが出掛けたヴァリデダー・コルスでも、そこにモスクを建設することを裁判所が許可しなかったにも関わらず、「建てる」と主張し強硬手段に出ようとした政府に対し、それに反対する市民が抗議を続けています。

輪になって踊る人たち。
一体感があって、すごく楽しそう。

私たちが現場に着いたのは、20時近く。
夜で雨が降っていたこともあって、人出はいつもより少ないと友だちは言いましたが、それでも1500人以上の人が集まっていました。
まず目に入ったのは、音楽に合わせて歌い、手をつないでフォークダンスをしている20代、30代の若者たちのグループ。
歌や踊りも抗議活動の一つで、このときに歌っていた歌は『独立の歌』。
後から後から人が輪に加わり、その人数は優に50人は超えていたかと思います。


待機する警察隊。
トマ(放水車)もあります。
周囲には沢山の警官がいました。

土曜日には建設予定地前で待機している警察隊がデモ隊に催涙ガスを発射したそうですが、市民はそんな脅しに屈すること無く、より大きな輪となって抗議活動を続けています。
一人の男性が催涙ガスを揶揄して、「ペッパーガスは僕にとってはハチミツみたいなものさ」と歌い出すと、皆笑いながら一緒に歌い出しました。
抗議活動の熱気に包まれていながらも、私たちがいる間は終始和気あいあいとした空気が流れていました。

友だちに、抗議活動でも、歌あり、音楽あり、踊りありで楽しそう!と言うと、「性別も年齢も職業も超えて、僕たちは明るい未来を信じて抗議しているのだから、楽しくなくっちゃ!」と。
時には行き過ぎた感もありますが、どんなときでも悲観的にならず、楽しむことを忘れない姿勢はさすが!
この前向きさ、打たれ強さ、見習いたいものです。

1500人以上の人が集まっていました。何をやっても変わらない、といった悲観的な人もいるけれど、
変えようと、立ち上がる人たちの方がこの国では圧倒的に多いと思う。

また抗議活動をサポートする人たちが、お茶やクッキーなどを無償で提供するブースや、夜通し座り込みを続ける人たちのためのスペースも確保されていました。

もしアタテュルクが生き返ったら、
今のエルドアンに何と言うでしょう。

市民の抗議の甲斐あって、現在は裁判所からの再判決待ち。
市民の声がどうか届きますように。

2014年10月30日木曜日

Cathedral Notre Dame de Paris -- ノートラダム大聖堂

パリに行くと、必ず行く、ノートラダム大聖堂。
もちろん、今回も行ってきました。

ルーブル美術館と同じくらい好きなノートラダム大聖堂。
セーヌ川からこの大聖堂が見えてくると、いつもドキドキします。

この大聖堂があるシテ島近辺は、細い通りが入り組んだパリらしい町並みで、観光客にとても人気の高いエリアです。
私も初めてパリに来て以来、このエリアは朝、昼、夕方、夜、また晴れの日も、雨の日も歩きましたが、何度歩いても飽きることのない、パリで一番好きな場所です。

何故一人だけ頭を持っているの?

今回は比較的空いていたので、中に入ってみました。

正面のステンドグラス。
綺麗だけどステンドグラスはサント・シャペルが一番。

ノートラダムはフランス語で「我らが貴婦人」、すなわち聖母マリアを意味し、その聖母マリアに捧げるために、1163年からおよそ170年かけて建てられました。
初期ゴシック建築の中で最高傑作と言われ、歴史遺産の多いパリの中でも、ひと際目を引く教会です。

美しいゴシック建築。
イタリアの教会もほとんどがゴシック建築、ですね?

しかしながらこの大聖堂もフランス革命の時には襲撃を受け、多くの彫刻が破壊され、当時の司祭はギロチンの刑に処されました。
破壊活動、略奪はフランス革命以後も続きましたが、1831年にフランスの作家、ビクトル・ユーゴが出版した『ノートラダム・ド・パリ』が大聖堂復興運動の意義を訴えるきっかけとなり、1864年にようやく元の美しい姿を取り戻したそうです。

ノートラダム大聖堂内部。

とにかく高くて広い!

ノートラダム大聖堂は、見る角度によって様々な表情を見せてくれます。
とりわけ私が好きなのは、屋根に沢山いる、ガーゴイル!

ノートラダムのガーゴイル。
近くで見るには、やはり一度登らないと。
(写真はWikipediaより)

ガーゴイルの本来の目的は雨どいなのですが、同時に魔除けなど、宗教的な意味合いもあるそうです。
日本で言うと、しゃちほこやシーサー、鬼瓦と同じ意味合いを持つもののようです。

内部はというと、とにかく広い!、そして人が多い!
私にとっては、内部は特に目を引くものはありませんでしたが、唯一ものすごく気に入ったのがドア。
ステンドグラスは、この近くにある、サント・シャペルが私がこれまでに見たステンドグラスの中では、最高に美しいです。

美しいドア。

そして、もう一カ所、この大聖堂の地下には古代ローマの町、『ルテティア』の遺跡があるのです。
興味のある方は、こちらをご覧になってくださいね。
ルテティア


この翌日の夜、ルーアンに行った帰りにも再び夜のノートラダムを歩きました。
いつどんなときでも、この大聖堂は本当に美しい。

2014年10月29日水曜日

L'as du Fallafel -- ファラフェル

今回、3回目のパリ。

今回はちょっと違うパリを見てみよう!
と、イスタンブールを発つときはそう思っていたんですが、いざパリに着いたら、やっぱり地図を持たずに歩けるお馴染みのパリを歩くことに。

今回ルーブルで発見した『自由の女神』?

でも今回は一つどうしても行きたいところがありました。
それは、マレのユダヤ人地区にあるファラフェル屋さん!
初めてパリに来たとき、一緒に歩いてくれたフランス人の友だちに教えてもらって以来、ずっと来たかったところです。

この日はちょっと風が強めでお天気もどんより。
でもイスタンブール同様、どんなお天気でもパリは絵になります。

オペラ座から出発して、ルーブル美術館を抜け、セーヌ川を渡り、ノートラダム寺院からマレ地区へ。

けれど、、、

L'as du Fallafel
次回は必ず!

ガーン!
お目当てのファラフェル屋さん、L'as du Fallafelは何と閉まっていて18日までお休み!
私と同じようにここを目指してきた人たちも多く、みなクローズしているのを見てガッカリ。
ファラフェルと言えば中東の食べ物なので、10月初めの犠牲祭でお店をクローズしていたのかもしれません。

でもお向かいにある別のファラフェル屋さん、mi-va-miは、L'as du Fallafelがクローズしているせいか、大混雑。
迷ったのですが、とってもお腹が空いていたので、ここで食べることに。

L'as du Fallafelのお向かいにある、mi-va-mi。
ここも美味しかったです。

これがファラフェルのサンドイッチ。
中に野菜が沢山入っています。
肉を使っていないので、ベジタリアンの人もOK!

肝心のお味の方はというと、正直、とっても美味しかったです。
この日は寒かったのでイートインしたのですが、ギャルソンの子たちもとても感じが良かったです。
ちなみに、テイクアウトは6ユーロですが、イートインは8ユーロ。
飲み物もイートインだと全て割高です。

今回目に留まったトラ。

マレには、友だちが9月にオープンしたお店もありますので、次回パリに行く際には行ってみようと思います。

ファラフェル屋さん
L'as du Fallafel
  32-34 rue de Rosiers 75004 Paris
  +33 1 4887 6360

2014年10月28日火曜日

Back to the Ordinary -- いつもの日常へ

旅行から戻った先週は、山のようにたまった仕事を片付けることに追われていましたが、それも一段落ついて、いつもの日常が戻って来ました。

今日のイスタンブール。
寒くって雨の日は、家から出ない私。

でもその間、イスタンブールは夏時間が終わり、26日の日曜日から日本とトルコの時差は7時間になりました。
しかも冬時間になったこともあってか、ここ数日は冬のようなお天気が続いています。
寒がりの私は昨日から弱く暖房を入れ始めました。
猫たちも寒いようで、程よく温かいコンビ(暖房器具)の上で暖をとっています。

日曜日には久しぶりにオーガニックマーケットへ行って来たのですが、しばらく来なかったせいもあって、並んでいる野菜もすっかり様変わりしていました。
最後に行ったのはもう1ヶ月以上前。
その時はまだ暑かったのでキュウリやトマト、ナスが山のように並んでいましたが、今はそれらに代わって、ケレビズ(根セロリ)や プラーサ(リーキ、長ネギのようなもの)、カバック(かぼちゃ)が沢山出ていました。

先週の土曜日。
お天気の良い日は出掛けたくなります。
この日はフェリーでヨーロッパサイドのジハンギルへ。

私は冷え体質なので、冬の野菜が大好き。
この日は、ケレビズ、プラーサ、カバック、人参、キノコを山のように買って、日本で買って来た包丁でせっせと野菜を刻んでスープを作りました。

友だちと良く行くカフェの猫。
昨日はこの子とケーキをシェア。

このとき買ったキノコ、、、トルコ語でÇam Mantar(チャム・マンタール、直訳すると松のキノコ)というのですが、傘の部分が所々緑色に変色して、切ると包丁や手が赤茶く染まります。
これ、食べて本当に平気?、なんて思ったほど。
というのも、つい先日、医者の友だちから夜中に、「キノコ中毒に効くホメオパシーのレメディって何?」と連絡が来たのを思い出したからです。
何でも、自分たちで採って来たキノコで中毒症状を起こした男性2人が、ERへ搬送されてきたとか。

お天気が良い日は友だちと海岸沿いを散歩。

でもよくよく調べてみたら、このキノコは『ハツタケ』と言って、日本でも古来より食べられてきたキノコだそうで、松尾芭蕉や小林一茶などの俳句にも登場するそうです。
見た目がすごいと思ったのも、どうやら傷んだところが変色したからのようです。
今回は写真を撮り忘れたので、次回バザールに行って出ていたら、ご披露します。

2014年10月24日金曜日

Rouen -- ルーアンという町

今回日本へはエールフランスで帰ったため、帰りはパリ経由でイスタンブールへ戻って来ました。その際、数時間いるも数日いるもチケットの値段が変わらないので、数日間パリにいることに。

ずっとパリにいても良かったのですが、観光シーズンということもあってどこへ行っても人の多いこと。なので、最終日は電車に揺られて、ノルマンディー地方のルーアンという町へ行ってきました。

SNCR(フランス国鉄)のRouen Riva Droite駅

この日は朝からとっても良いお天気で、しかも土曜日ということもあって、比較的早めに動いたにも関わらず、ルーアン行きの電車は満席。
ルーアン行きの電車が発着するパリのセント・ラザール駅で、駅の職員に聞いたところ、ここからルーアンまで通常は1時間だけど、今日は事故があったから1時間半くらいかかるかな、とのこと。
でも結局、行きも帰りもそれぞれ2時間かかりました。

木と石を合わせて作った昔ながらの家。
パリ市内でも時々見かけましたが、ここルーアンには沢山あります。

ルーアンは、印象派モネの書いた大聖堂があることで有名です。
私は絵画には(にも)疎いので良く分かりませんが、ルーアンは今も、昔ながらの木と石を組み合わせた建物が多く残っており、とても情緒的な印象の強い町です。
またとにかく教会が多い。
行くところ、行くところに、立派な教会があるのですが、土曜日ということもあって、夕方のミサまで閉館しているところが多かったのが残念でした。

いたるところにゴシック建築の建物があります。
モネも沢山描いた、ノートラダム大聖堂。

そしてルーアンは、フランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルクが処刑された町としても有名です。
ジャンヌ・ダルクの肖像画。
他にもあるけれど、私はこれが一番好き。

パリの東にある、ドンレミ=ラ=ピュセルという小さな町で生まれた少女ジャンヌ・ダルクは、13歳のときに神の啓示を受けたとしてフランス軍に従事し勝利を収め、当時イギリスに包囲され陥落寸前にあったオルレアンを解放しました。
ジャンヌが率いる隊はその後も勝利し続け、シャルル7世の戴冠に貢献したものの、その後ジャンヌを疎ましく思い始めたシャルル7世は、その後の戦いでジャンヌを援護せず、その結果ジャンヌは捕われ、異端裁判にかけられ、わずか19歳のときに、火刑に処せられたそうです。

ジャンヌ・ダルク教会

今回ルーアンでは、ジャンヌ・ダルク教会と、ジャンヌ・ダルクが処刑されたヴィエ・マルシェ広場、そしてジャンヌが監禁されていたジャンヌ・ダルクの塔へ行ってきました。
教会やマルシェ広場周辺ではこの日はマルシェが行われていてとても賑やかでしたが、そこから少し離れたところにある塔は、外では本を読む人がちらほらいたものの、内部は私一人しかいませんでした。
駅の近くにある、ジャンヌ・ダルクの塔

まだ若かったジャンヌ・ダルクは、捕われてから処刑されるまでの1年間、ここで何を想い毎日を生きたのか。
そんなことを、柔らかいパステルカラーのはめ込まれた窓から外を見ながら、考えました。

ジャンヌ・ダルクの塔の内部。

ルーアンのあるノルマンディーは、リンゴの産地としても有名で、中でもリンゴのお酒、シードルが名産品とのこと。
私は翌日イスタンブールへ戻ることもあって買いませんでしたが、次回は同じノルマンディー地方にあるモンサンミッシェルに行きたいと思っているので、そのときは是非味わってみたいと思います。

ルーアンはノルマンディー地方。
ノルマンディーはリンゴが有名。

ルーアンへの行き方:
パリのセント・ラザール駅からSNCF(フランス国鉄)、Rouen Rive Droite行きで約1時間。
料金は当日買いで、片道約23ユーロ。
週末や祝日は2等席でも大分混み合うので、座りたい場合は、早めに駅に行った方がよいです。

2014年10月23日木曜日

More than Just A Knife -- 日本の包丁

この2週間の旅行記を書こう書こうと思っているのですが、その前にこの旅行中に買った包丁の素晴らしさに感動して、やたら野菜を刻んで料理をする、ということばかりに集中しています。

今年の3月、ご縁があってある方から不動明王の化身と言われる『俱利迦羅龍王』のお話しを伺い、興味を持った私は早速ネットで検索すると、石川県に『俱利迦羅不動寺』というお寺があることを発見。
そして今年の10月は3年に一度の奥之院御本尊のご開帳があると知り、今回一時帰国した際にお詣りさせていただきました。

山間にある俱利迦羅不動寺。
今回お詣りしたのは山頂本堂。鳳凰殿は山の麓にあります。

その後、京都、大阪へ向かおうと思ったのですが、折角北陸まで来たので、途中、有名な『白山ひめ神社』や龍の形をした杉の枝のある『金劔宮』へもお詣りしようと、俱利迦羅不動寺をお詣りした後、この二つの神社のある鶴来町へ向かいました。

白山ひめ神社御拝殿。
本殿はこの裏、奥宮は白山山頂にあります。

その鶴来町で、今回持ち帰った包丁に出会ったのです。

地元の方の話しにによると、鶴来町の鶴来は、かつては『刃(やいば)の剱(つるぎ)』と書かれたほど、古くから刀剣の生産が盛んで、江戸時代には加賀藩御用達の刃物店もあったとのこと。
今回訪れた『金劔宮』の古名は『劔宮』。
鶴来町の『鶴来』もこの『劔(つるぎ)』が由来で、『劔』が『鶴来』となったのは、江戸時代の元禄以降のようです。

金劍宮にある龍。
以前より優しい表情になったと、神社の方がおっしゃっていました。

で、肝心の包丁ですが、とにかくその切れ味がすごい!
包丁は英語で、(cooking)knifeと言いますが、ナイフという表現以上のもの、私的には刀のようにさえ感じます。
刃が野菜に吸い込まれるように入り、力をほとんど入れること無く切れるその様は、もう芸術の領域です!

っていうか、私どれだけ切れ味の悪い包丁を使っていたのか、、、ちょっと反省したりして。

これがその包丁。
上は野菜・果物用、下は肉・魚など硬いもの用。

ちなみに今回購入した包丁は2本とも手作り。
刃の部分は刀剣と同じ鋼で出来ており、驚くほど軽い割には、恐ろしく切れます。
トルコ人の友だちに、「サムライになった気分」と言いましたが、刀で斬るってこういう感じなんだろうなぁと、想像しています。

自分で研ぐことも可能ですが、購入したお店の方からは、刃こぼれしても、切れ味が極端に落ちることは早々ないので、帰国した際に研ぎに出しなさい、と言われました。

皆既月食の夜に知り合った金沢出身の方から、
金沢駅構内の回転寿しが美味しいと教えてもらいました。
すべて地物!本当に美味しかった!

また一つ、海外で誇れる日本の伝統が増えました。

今回包丁を購入したお店
 浅野金物店
  石川県白山市鶴来町本町2丁目
  電話: 076(272)0028

2014年10月22日水曜日

Missed Istanbul -- イスタンブールに戻りました。

日曜日の午後、2週間の旅を終えて、無事にイスタンブールに戻りました。

今回の滞在は本当に慌ただしく、台風18号の上陸直後に日本入りし、その1週間後に台風19号が関西へ接近している最中に香港へ発ったこともあって、自分自身が台風18.5号だったような気分でした。

それでも滞在中はお天気に恵まれ、行きたかったところにはほぼ全て行け、会いたかった人たちにもほぼ会え、とても幸せな時間を過ごすことが出来ました。
お世話になったみなさん、ほんとうにありがとうございました!


昨年7月にイスタンブールに引っ越して以来、日本には今回で4度帰国しましたが、イスタンブールでの生活に慣れたこともあって、今回初めてイスタンブールを恋しく思いました。
トルコ人の友だちに、まさかそんな風に感じるようになるとは思ってもいなかった!と話すと、笑いながら「もうここが、君の家なんだよ」と言われ、当たり前のことなのかもしれませんが、そうなんだなぁと実感しています。

ここ数日は旅の疲れもあってか昏々と眠り続けましたが、元気も復活してきた今、とりあえず、たまった仕事を片付けます。

My life is here in Istanbul... :))

2014年10月20日月曜日

After Paris, to home, Istanbul -- パリのあと、イスタンブールへ

日本、香港、パリと、超特急で旅した2週間。

10月8日、友だちの家に向かう際に見た皆既月食。
神秘的で本当にきれいでした。

台風18号の影響で、経由地のアムステルダムで15時間待たされ、日本には予定より10時間遅れて到着。
日本滞在がわずか1週間という短期間のため初日から予定を入れていたのですが、この遅れで約束をいくつか泣く泣くキャンセル、、、
それでも本当にたくさんの仲間たちと会い、とても充実した時間を過ごすことができました。

今回初めて行った、奈良にある『石上神社』
日本で最も古い神宮の一つで、起死回生が有名。

今回泊めていただいた方の家の裏にある垂水神社。
ここには不動明王が祀られ、龍神もいます。

また今回は新しい出会いにも恵まれ、次回帰国の際の楽しみが増えました。
温泉、行きたい!

香港。
香港のセントラルから九龍へフェリーで渡る。

台風、赤い月、そして最後も台風。
そんな中、よく働き、よく食べ、よく遊びました。

パリのルーブル。あれ?自由の女神?

1日は、パリから電車に揺られ、
ノルマンディーにある『ルーアン』という町に行ってきました。

今回もまた夜のパリを歩きました。
ライトアップされた旧パリ市庁舎。

次回の帰国はまだまだ未定ですが、次回はもう少し長めに滞在して、ゆっくり旅したいと思っています。

2014年10月17日金曜日

Then Paris! -- そしてパリ!

香港での3日間はあっという間に過ぎ、香港から戻った日の夜に帰京し、16日のお昼に日本を発ちました。

そして今はパリにいます。

昨夕、11時間のフライトを経て、パリに到着。
パリもイスタンブール同様、どんなお天気でも絵になる町。

パリはこの3ヶ月で3度目ということもあって、空港でも戸惑うことなく、移動もスムーズ、一人で賑やかなビストロで食事をすることにも慣れました。

フランス人、特にパリジャンは、英語を分かってはいても決して話してくれないとか、親切でないと良く聞きますが、私はフランスでそう思ったことは一度もありません。
また今回日本からはエールフランスを利用したのですが、ネットでの評価が「最悪」とあったので、どれだけ最悪なのか楽しみにしていたのですが、イヤな思いどころか、フランス人のCAは誰もが笑顔でとても感じが良かったですし、機内食も久しぶりに「美味しい」とさえ感じたほど。

昨日の夕ご飯、マグロのタルタル。
ワインはどれを飲んでも、ほんと外れなし。

唯一心当たりに思うのは、フランスはかなり個人主義の強い国。
良い意味でも悪い意味でも、放っておかれるので、『してくれる』ことに慣れている人にはその距離を『冷たく』感じるかもしれません。
私は必要なとき以外は放っておかれたいタイプなので、適当な距離感のあるフランス人が合っているのかも(笑)

今回滞在しているホテル近くの駅。
お隣のRepubliqueよりは人は少なめだけど、その分静か。

言葉については、接客業に携わっているフランス人のほとんどは英語を話します。
ただここはフランス、いきなり英語で、っていうのは、どうかなーと、個人的に感じます。
話せないなりにも、せめてフランス語で挨拶するだけでも、相手の心や表情は緩みますので、フランス語で挨拶した後、そこで返ってきたフランス語が分からなかったら、ごめんなさい、私、フランス語分からないんです、と言うと、親切に英語で対応してくれます。

私は毎日、一つか二つ、新しいフレーズを覚えて使うようにしています。
昨日使った初めてのフレーズは、"L'addition, s'il vous plait?"(お勘定お願いします)でした〜(笑)

裏通りはほとんど人が歩いていないので、注意が必要、かな。

今日のパリは曇り。
気温も低めなので、暖かくしてパリの町をのんびり歩いてきます。