2017年4月22日土曜日

Gergeti Trinity Church -- ゲルゲティ三位一体教会

ゲルゲッティ三位一体教会。

前日、前々日とは打って変わっての晴天!

雄大なジョージアの自然に囲まれたこの教会は、
ジョージアのシンボル的な教会であると同時に、
地理的にも人里離れ孤立した場所にあったため、
18世紀にジョージアが危機的情況にあったときには、
聖ニノの十字架を含む貴重な遺物が
ジョージアがイベリア王国だった時代の首都、ムツヘタから、
この教会へ保管のため持ち込まれたとか。

またジョージアがソビエト連邦の時代にあったとき、
全ての宗教的なサービスは禁止されたそうなのですが、
この教会だけは観光客に人気の場所だったようです。

この聖ニノという人は
ジョージアの亜使途光照者、
つまりキリスト教を伝導した人で
しかも女性。

その上驚くことにこのニノさん、
一説には
カッパドキアのコラストラ(どこ?)の出身で、
当時コンスタンチンノープルから
ジョージアへ来たそうなのです。

そんな背景のあるゲルゲティ三位一体教会。

標高2170メートルのところにあり、
徒歩だと麓の村からおよそ1時間半から2時間、
車だと30分ほどで行くことができます。

途中、来た村を見おろす。高い!

この日の前日、
私は地元のタクシーの運転手さんから
散々タクシーで行くことを勧められました。

正直、雪も降っていたし、
かなり迷いましたが、
行ってみてダメだったら引き返してタクシーで行こう、
そう決めて徒歩で行くことに。

お天気は雲一つない青空。
私がこの村に来る数日前から雪は降っていたものの、
春の雪。
ということでどんどん溶けていきます。
そんな中、何度か道を行ったり来たりしながらも、
途中まで順調に。

本当にずっとこんな道ばかり。
ここはまだ良い方。

じーっと見てたら、「もぉ〜〜」と挨拶。

ステパンツミンダの村は本当に美しく
そしてのどかで、
途中、すれ違うのは
人よりも、
牛、馬、羊、のほうが多かったくらい。

道は『車が行き来する道路』ではあっても、
それはもちろん舗装されておらず、
途中水たまりや雪だまりで
ヒヤヒヤしたところも何カ所かありましたが、
スタートしてから3時間、
急に視界が開けて、教会が見えた!

足元が良ければあっという間だけど、
この日はこれからゆうに1時間はかかった。


しかし、、、

実はここからが長かったのです。

距離的にはそれほどではないのですが、
溶けた雪の上を
送迎のタクシーがガンガン通るものだから、
あちこちぬかるんでいて、
足元を取られて歩けない、、、

私でさえも滑りそうだったんだもの。
車もね。

教会はすぐそこなのに、
悪路に先を阻まれ、
無理かも、、、と思いつつも、
折角来たのだから行けるところまで進んでいくうちに、
教会に到着!

教会はとてもこじんまりとしていたんですが、
ちょうどミサの時間に重なったらしく、
観光客ではない
地元の方たちもかなり集まっていました。

私は少しだけミサに加わり、
その後は少し写真を撮って
教会を後に。

教会からの眺めは絶景なんですが、
山頂はかなりの強風で
しかも寒い。

教会から見るカズベキ山。
やっぱりすごい山だ。

というのも、
この教会の目の前にそびえるカズベキ山は
別名を
『氷河の山』もしくは『凍てつくほど寒い山』というほど。

で帰りはというと、
実はもうこの時点でかなり精神的に参っていて、
『帰りはタクシーで下山しよう』と決めてました。

運良く停まっていた乗合タクシーの運ちゃんから、
「乗っていくか?15ラリでいいよ」と言われ、
迷いもせず
「お願いします」と車に乗り込むヘタレな私。

とそのとき、
手がおかしい。

足場の悪いところを長時間、
転んだら危ないと
ポケットから手を出して歩いていたせいか、
手の感覚がない。

おまけに浮腫んでるし、
こすってもこすっても手は中々温かくならず、
浮腫んでいるせいか関節もよく曲がらない。

え?
もしかして、しもやけ?

その後、気がついたら手は治っていましたが、
今回ばかりは本当に準備不足。
自然を甘くみてはいけません。

タクシーの出発を待っている間、
運転手さんから、
この後どうするんだ?と聞かれ
トビリシに移動すると言うと、
なんと20ラリで行ってくれるというので、
それに便乗することに。

トビリシに出発直前、ホテルの部屋から。
カズベキ山の左側の頂上にある小さな建物が
私が行って来たゲルゲティ三位一体教会

このカズベキ山。
その後調べてみると、
ゲルゲティ三位一体教会から2時間半ほど歩くと、
カズベキ山の氷河まで行けるのだそう。

それを聞いて、
次回は絶対にその氷河まで行ってみようと思った私。
もちろん今回のような雪の舞う時期ではなくて、
天候の安定した、温かい時期に。


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2017年4月19日水曜日

Georgia -- ジョージア

先日、お隣の国、
ジョージアに行ってきました。

ジョージアの国旗、ファイブスタークロス。
そしてジョージア人はとても信仰深い人が多い。

チケットは随分前に手配していたんですが、
ミイちゃんが亡くなって
今ひとつ気持ちも乗らなかったんですが、
こういうときだからこそ気分転換をしようと、
行ってきました。

久しぶりのひとり旅。
しかもほとんど英語が通じない国。

自ずと自分と向き合う時間が多くなり、
旅したことは大正解でした。

ジョージアは
西アジアの南コサーカス地方にある
人口370万人の自然豊かな小さな国です。

人口のおよそ3分の1は首都のトビリシに集中してるので、
車を30分も走らせると、
人もまばらで、牛の方が多く目につく、
のどかな風景が広がってきます。

今回目指したのは、
首都トビリシから北へ150キロ余り余り行ったところにある、
ステパンツミンダという村。

ロシアの国境のすぐ手前にある
カズベキ山を見ることと、
その手前にある
ゲルゲティ・トリニティ教会へ行くことが
今回の旅の目的。

しかし。

到着した初日とその翌日の2日間は、
なんと、雪。
しかも2日目の午後から雪は本格的に降り始め、
どこもかしこも真っ白で何も見えない、、、

けれど3日目の明け方、
日の出前の5時頃にふと目を覚ますと
雪は止み、
西の山から漏れる満月の光で
深い青い空に白い何かが浮かんでいるのが見えました。

それがカズベキ山。

これは夜が明けてからの写真。
山頂が朝陽で赤く染まり、一気に暖かくなる。

カズベキ山は、
もちろんずっとそこにあったのですが、
それを目にするまで気配すら感じず、
私にしてみたら、突然現れた!といった感じでした。

その姿は威厳があって雄大で、
それから空が明るくなるまでホテルのカーテンを開けて
ベッドに横になりながら、
ずっとずっとカズベキ山を見ていました。

そして村がすっかり明るくなった午前10時過ぎ、
いよいよカズベキ山の手前にある、
ゲルゲティ・トリニティ教会へ出発!

しかしこれがまた
大変だったのです、、、

《つづく》


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2017年4月17日月曜日

After Referendum -- 国民投票の後に

昨日トルコでは、
憲法改正の是非を問う
国民投票が行われました。

この憲法改正については、
メディアでも取り上げられているので
ご存知の方も多いと思いますが、
簡単に言うと、
これまで行政の権限をほとんど持たなかった大統領に
絶対的な行政の執行権を与えると言うもの。

この法案が通ってしまうと、
すでに暴走しつつある現大統領の独裁色が
さらに強くなってしまう、というのが
多くの人が懸念していることだと思います。

で結果は。

賛成51%、反対49%。

僅差ではありますが、
国民の半数以上が
憲法改正に賛成する結果となりました。

憲法改正に反対する人が
圧倒的に多いと思われる私の住む地域では、
昨晩はその結果に抗議する
フライパンや鍋を叩く音、
ホイッスル、
スローガンを叫ぶ声などが、
数時間に渡り響き渡りました。

そして一夜明けて、今朝。
町はいつも以上に静かで、
人の声がまったくせず、
どこからか飛んで来た春の鳥の鳴き声だけが、
ただただ、町に響き渡っています。

みんな、落ち込んでいるんだろうなぁ。
分かります、その気持ち。

そこで考えたのです、
いわゆる
『民主主義』(デモクラシー)ってなんだろうって。

民主主義の語源はギリシャ語の
"demokratia"。
demos(人民)とkratia(権力)という
二つの言葉が合わさり、
本来ならば
『人民が権力を握り、自らそれを行使する政治』
を意味するそうです。

選挙はもともとは
制限されていたそうなんですが、
それに対する批判もあって、
納税額や性別などによって選挙権を差別しない『普通選挙法』が
1792年からフランスを皮切りに各国で導入されました。

差別なく
人民に選挙権が与えられること自体は良かったのですが、
政治に対する考え方には
人の価値観なども相まって
(かなりの)ばらつきがあります。

自分の望む生活や社会を
自分で作っていくということは
簡単なことではありません。
ならば、
自分に変わってそれをやってくれる人がいたら、、、
多くの人はそう考えるでしょう。

市民が能動的でなくなればなくなるほど、
人々は『自分が望む社会を作ってくれるであろう』人に支配され、
それがゆくゆくは独裁主義へと変わっていく。

民主主義と独裁主義は、
決して別々のものではないのです。

トルコはいよいよ本格的な独裁政治が始まってしまう、
そういう意見もあるでしょうが、
自分の立ち位置に気付いたならば、
その流れに流されず、
正していくことも出来るはず。

それには
自ら行動することが必要。

だって、本当の民主主義は、
『人民が権力を握り、自らそれを行使する政治』、
人民が主体なのですから。

いや、あなた、
外国人だからそういうこと言えるのよ、
とも言われそうですが、
確かに置かれている立場は違っても、
これはある意味誰にでも共通することだと思います。

大切にしたいものは
他人任せにはせず、
自分で守る。

理想の社会があるのなら、
それを思い描くだけでなく、
どうやったら実現するか、
一つ一つ行動して具体化していくこと。

私は一つ一つ実行していきます。


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2017年4月15日土曜日

As time goes by -- ときが経つにつれ

ミイちゃんが空に還って10日余り。

1月のある朝の空。

家の中が今までになく
広く感じます。

小さな身体だったけれど、
その存在は
とってもとっても大きかった。

ミイちゃんのことは
毎日思うのですが、
ことさらに思い出すのは
旅立つ前の日の朝のこと。

その前日の夜から夜半にかけて
3回痙攣を起こしたミイちゃん。
大丈夫、大丈夫と
ミイちゃんに、私に言い聞かせながら過ごした夜。

やがて東の空が明るくなって、
ミイちゃん、朝になったねーとカーテンを開けると、
それまで横になっていたミイちゃんが起き上がり、
姿勢を正すようにして
朝陽でピンク色に染まる空を
じーっとじーっと見つめていました。

その姿があまりに神々しくて、
私は朝焼けに染まる空よりも、
そんな空を眺めるミイちゃんのことを
ずっとずっと眺めていました。

そしてその翌日の明け方、
穏やかに過ごしていたミイちゃんの様子が一変したとき、
急いで朝陽が差し込むサロンのカーテンを開け、
ミイちゃん、朝になったよ、と声をかけたものの、
ミイちゃんは火曜日の朝陽を見ることはありませんでした。

もしかしたら
ミイちゃんは知っていたのかもしれません。
火曜日の朝陽を見れないことを。

実際には
火曜日の日の出の時間には生きていたんですが、
太陽を感じられる感覚が
そのときはもうなかったのかもしれません。

月曜日の朝にじーっと空を見ていたミイちゃん。
『ミイちゃん』として見る最後の朝陽を
しっかりと心に焼き付けているようでした。

その姿を思い出すたび
ミイちゃんってすごい猫だ!と、
悲しい気持ちよりも感動している自分がいます。

でも。
今ちょっと心配なのが、
一緒に日本からきたちゃー坊。

ちゃー坊は推定3ヶ月でうちの子になってからというもの、
いつも側にはミイちゃんがいて、チイちゃんがいました。

左から、ちゃー、チイ、ミイ。
ちゃー坊が小さい!

トルコにも一緒二やって来た
いつも自分を護ってくれた2匹に旅立たれ
自分よりはるかに年下で
怖いもの知らずのお転婆さん、
つーと2匹、
これからどうしたらよいのか、、、

そんなちゃー坊の心中を思うと、
その不安や寂しさははかりきれないものかと。

でもね、ちゃー坊。
ミイちゃんもチイちゃんも、そしてちゃー坊も
ご縁があってうちに来た子。
それはつーも同じ。

そして、つー。
ちゃー坊と遊びたいのはわかるけど、
ちゃー坊はつーよりずーっとおじいさん。
ちょっかい出されるのが嫌いなの。
だからね、ちゃー坊とうまく距離を保つことを学んでね。

3匹でいるときはいつも2匹の間にいたね。
この距離感を大切に!(つーへ!)

2匹がいい感じで距離感を保ちながら、
それぞれが健康で幸せでいてくれることが
私が唯一望むこと。


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2017年4月5日水曜日

Arigato Mie -- ありがとう、ミイちゃん

今から15年前の7月13日。

かれこれ10年くらい前の写真。
本当にハンサムな子だったなぁ。

その日はとっても暑い日で
なのによりにもよってキムチ鍋を食べているときに
外から網戸越しに家の中を覗き込み
大きな声で鳴いている仔猫がいた。

それがミイちゃん。

酷い猫風邪をひいていて、
目はただれ、
下痢をしていてやせ細り。

当時うちには犬がいて、
家に入れるのを躊躇したけれど、
台風が来たのを機に家に入れた。

温和で人なつこい性格で、
誰からも可愛がられ、
うちに来た新入りさんも
嫌がることなく受け入れて来た。

月のことは鬱陶しがるものの、
良く面倒をみていた。

1歳を過ぎた冬に下部尿路疾患を患ったものの、
その後生肉を中心とした手作り食にしてからは
その病気を二度と発症することもなく、
そしてその前にも後にも大きな病気をすることもなかった。

そんなミイちゃんが
1ヶ月ほど前からご飯を残すようになり、
私が日本に一時帰国しているときに、
ご飯を食べることを止めてしまった。

今年の大雪のとき。
月といっしょに外の雪を眺める。

留守を預けていた友だちに、
あれこれ無理なお願いをして、
どうにか食べるものを与えてもらい、
私がイスタンブールに戻ってから病院へ連れて行き、
色々と検査をするも
原因が分からず。

血液検査の結果、
白血球の数値がとても高いので、
恐らく身体のどこかに炎症があるとのことで、
抗生剤の投与と
脱水症状を改善する点滴を受けることに。

点滴で身体が楽になってきていたのか、
自力で食べるご飯の量も少しずつ増えてきたのに、
4月2日の夜9時に突然の痙攣。

その後も痙攣の発作は続き、
それから2時間後の11時過ぎと
日付が変わった2時少し前、
そして朝の9時頃にも
ご飯を食べている最中に発作が。

怖かったでしょう、と後に友だちに言われたのですが、
何故か慌てず、
激しい痙攣がおさまりかけた頃に、
大丈夫、大丈夫と私はミイちゃんの身体をさすっていました。

そのとき、決めました。
もうこれ以上通院はせずに、家で看ようと。

その日の夕方、
誤解があってはいけないと、
日本語と英語が話せるトルコ人の友だちに付き添ってもらい、
獣医さんの元へ。

先生、ミイちゃんはもう難しいと思います、
だからもうストレスになる通院も検査もしないで、
家でできることをやりたいと思います。

そう伝えました。

帰り道、
付き添ってくれた友だちが、

そんなに大変なことになっていたなんて。
一人で病院に行くのは辛いでしょう。
いつでも一緒に行くから、
いつでも言って。

そういってハグしてくれた優しさ。
本当に有り難かった。

その日の夜、
ミイちゃんはキッチンにくるものの
今まで食べてくれていた
卵の黄身も
七面鳥の生肉も
高カロリーのペースト状の缶詰も
何を出しても顔を背けてしまいました。

水だけは自力で飲んでくれていたので、
少しのハチミツと塩を加えた電解質水を作り、
間にホメオパシーのレメディを与えました。

最後の写真。

そして4月4日の午前7時過ぎ。

後ろ足が立たなくなりました。
抱き上げても居心地が悪いのかもがき、
床にタオルを敷いて横たわらせ、
私も一緒に床に横たわりました。

それから1時間ちょっとが過ぎた8時28分、
ミイちゃんは空へと帰っていきました。

最後に少し苦しそうに呼吸をすることもありましたが、
もがいたり、暴れたり、鳴いたりすることなく、
とても静かで穏やかな最期でした。

私はというと、
横たわりながらずっとミイちゃんの身体をさすり、
最初は話しかけたり、
呼びかけたりしていました。

けれど呼びかけることが、
何となく自由になりたいミイちゃんを引き止めているような気がして、
途中からは、ずっと友だちの歌を歌っていました。

ミイちゃんが最後に息を大きく吐き出し、
魂が身体から抜けていくと感じたときも、
私もミイちゃんの魂に私の歌声を合わせ乗せました。

14年とおよそ9ヶ月。

小さいときはいたずらで、
完全室内飼いの我が家で、
唯一3回脱走したミイちゃん。

とても性格の良い子で
ミイちゃんが我が家の一番最初の猫じゃなかったら、
うちには、2匹目のチイも、3匹目のちゃー坊もいなかったし、
私もこれほど猫との暮らしが楽しく幸せなものだと思わなかったと思います。

この10日間。
何よりもミイちゃんのことだけを考えた10日間。
最後にミイちゃんの命とだけ真剣に向き合えたことは
かけがえのない大きな恵みでした。

ちゃー坊(左)とは13年以上いっしょ。
小競り合いはあっても、ケンカをしたことはありませんでした。

ありがとう、ミイちゃん。

これまでミイちゃんを可愛がってくださったみなさん、
ありがとうございました。


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