2015年6月14日日曜日

Israel Day 6: Jerusalem/Temple Mount -- イスラエル6日目: エルサレム・神殿の丘

エルサレム6日目。

この日は、神殿の丘、西壁、イスラエル博物館、ベツレヘムをまわりました。

まず最初に、前日の夕暮れ、ホテルの近くの丘から見えた金色に輝く岩のドームのある神殿の丘へ。

アル・アクサーモスクから見た岩のドーム。

神殿の丘は、エルサレムの旧市街にあるユダヤ教とイスラム教の聖地。
紀元前10世紀頃、イスラエルの王であったソロモンによって第一神殿であるエルサレム神殿が建てられましたが、紀元前587年にバビロニアにより神殿は破壊されます。
その後、間もなく第二神殿が建てられますが、70年にローマ帝国によりエルサレムの陥落と同時にこの第二神殿も破壊されました。

その後、1948年にイスラエルが建国しても、ヨルダンが東エルサレムを支配していた1948年〜1967年までの間、イスラエル人は神殿の丘のある旧市街への立ち入りを禁止されていました。
現在、神殿の丘はイスラエルの領土内にありますが、イスラム教指導者によって管理されているため、ユダヤ人とキリスト教徒はここで宗教的儀式を行うことを禁止されています。

何故ここがユダヤ教とイスラム教の聖地なのか。

ドームの天辺に『ヒラル』があることから、これはモスク。
イスラム建築のドームは、この岩のドームが発祥だとか。

それはこの神殿の敷地内にある岩のドームが、イスラム教徒にとっては、カアバ神殿、予言者のモスクに次ぐ第三の聖地であると同時に、ユダヤ教徒にとっても、その内部に祀られた『聖なる岩』は、五大予言者の一人であるアブラハムが、神に息子のイサクを生け贄に捧げようとした神聖な場所でもあるからなのです。

イスラム教の管理下にあるとは言え、異教徒である私たちが入場を許されているのであれば、ユダヤ教徒やキリスト教徒もこの場所を訪れることができます。
しかし私たちがアル・アクサーモスクの横でガイドさんの話しを聞いていると、キッパを被った一人のユダヤ教徒が武装した4人のガードと共に、入場してきました。

アル・アクサーモスクを横から。
別名『銀のドーム』が少し見えます。

すると、そのモスクの入り口に集っている女性のイスラム教徒が、その男性に向かって一斉に大声で叫び始めました。
アラビア語だったか、ヘブライ語だったか、彼女たちの口から発せられた言語が何だったかは分かりませんが、そのユダヤ教徒の入場を歓迎しないものであることは確かでした。

そしてその後、岩のドーム周辺でガイドさんから話しを聞いていると、一人のアラブ人の警備員らしき男性が、ガイドさんに執拗に何かを言い始め、私たちのグループを監視するかのような行動を取り始めました。
それから間もなくして、その男性が私たちのグループの一人が祈るような仕草をしたと叱咤し、その上その場をたまたま通りがかった別の警備員らしき人から、「今すぐここから出て行け!」と大声で怒鳴られました。

直接的な、非常に熱い、容赦ない怒り。

今、私が住むトルコもイスラム教の国ですが、このような有無を言わさない衝動的な怒りを経験したことは、一度もありません。
このことは、今でも思い出すと胸がドキドキして、苦しくなります。

アル・アクサーモスク横で集う女性のイスラム教徒(右)と、
武装警備員に護衛されているユダヤ教徒(左)

エルサレムの、そしてイスラエルの置かれている立場を突きつけられた、そんな瞬間でした。

続きます。



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2015年6月13日土曜日

From the Other Edge -- アジアの端で思うこと

私は家の近くの海岸からヨーロッパ側のスルタンアフメットの夕陽を見るのが大好きで、イスタンブールにいるときは、陽が沈む頃、よく海岸へ散歩に行きます。


トルコというと、地理的に中東か、ヨーロッパか、と迷うかもしれませんが、実はトルコはアジアの最西部に位置し、国土の96%は西アジアの一部なのです。
なので、私がいつもこの夕陽を見ている場所は、アジア大陸の一番西の端。

ここしばらくイスラエルの旅を振り返りながら、そこで私が実際に見て来たことや経験したこと、感じたことをトルコ人の友だちと話す時、何故か必ずと言って良いほど、そこに摩擦のようなものを感じました。

私の友だちに限って言えば、ほとんどがイスラエルと言う国に良い感情を持っていません。


イスラエルにいるとき、パレスチナ側は武器や弾薬を学校や病院の地下に保管し、イスラエル軍がそこを攻撃することを伝えても、パレスチナ側は退避しない、と聞いたんだけど、何故退避させないの、何故武器をそんなところに保管するの、と聞く私に、トルコ人の友だちは、じゃあ、仮にそこから逃げたとしても、次にXXを攻撃すると言われたら、また逃げるの?そんなことしていたら、一体どこに住めるっていうんだ!結局それは戦略なんだよ、と。

そうだよね、、、と返す言葉もない私。

でもそこで気がついたことは、私には、『安全に暮らせる故郷がある』ということ。
そしてそこで暮らしている人たちには、例え攻撃を受けるほど危険であっても、そこが彼らの故郷なのです。

イスラエルもかつては自国を失った民族ですから、自国の領土を守ることはとても大切なことです。
でもそれはパレスチナの人たちにとっても同じこと。
ましてや、イスラエルによって事実上閉鎖されているガザ地区には、世界でも有数の軍事力を誇るイスラエルに対抗できるだけの武器・弾薬がもはやあるはずもなく、ただそうやって抵抗するしか方法がないのかもしれません。

第二次世界大戦後、欧米からの影響を大きく受けながら、急成長していった日本。
『主要先進国』という立場から、ついつい強いものの立場から物事を見る癖がついてしまっているんじゃないか。
友だちと話して感じた『摩擦』のようなものは、無意識にとっていたそういった私の見方が原因だったのかもしれません。


物事を出来るだけ公平に見るためには、自分の立場を常に置き換える必要があるのだと、改めて感じています。


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2015年6月9日火曜日

Israel Day 5: To Jerusalem -- イスラエル旅行5日目:エルサレムへ

イスラエル5日目。

この日は、カナ、ナザレ(受胎告知教会、マリアセンター)、カルメル山、地中海にあるカイザリヤを経て、いよいよエルサレムへと向かいます。

ガリラヤ湖の日の出。
太陽が登るとき、そして沈むときは、
いつも神聖な気持ちになります。

エルサレム。
私は小さい頃、カトリックの幼稚園に通っていたこともあってか、『エルサレム』という地名は、私の記憶の中で一番最初に覚えた外国の町のような気がします。

エルサレムの夕暮れ。
写真の真ん中辺りに見える金のドームは、
アブラハムが息子のイサクを生け贄として神ににささげようとした岩のドーム。

幼稚園で先生が紙芝居で見せてくれたエルサレムの町。
もちろん近代化が進んだ今は、ロバが荷物を引いていたり、白い布をまとった人が歩いている、なんてことはないと思いつつも、良く分からない『期待』みたいなものがあって、この日はただただ、エルサレムに行くことで、胸がいっぱいでした。
もしくは。
マサダとガリラヤ湖の聖ペテロの首位権教会で感じたことが大き過ぎて、このときはまだまだその余韻にひたっていたのかもしれません。

受胎告知教会のファサード。
下からファサードを見上げると、丁度教会のてっぺんに太陽が。

この日、エルサレムに向かう途中に訪れた受胎告知教会とマリアセンターのあるナザレは、イエス・キリストが幼少期からおよそ30年間を過ごした土地。
『神の子』と言われはしても、人間として産まれたのであれば、あるときまでは他の子どもたちと同じように成長していったはずです。
今でこそナザレはどこにでもある町の風景と何ら変わりはありませんが、その昔、イエスやイエスの両親であるヨセフやマリアは、この場所で生活していたのです。

天使ガブリエルが処女のマリアにイエスの懐胎を
告げたとされる洞窟。(祭壇の奥です)

また『神の子』ゆえ、イエス・キリストはどんなときでも、穏やかで心優しい人物、と勝手にイメージする人も多いと思いますが、そうでないイエスの側面を表すかのように、聖書にこんなことが書いてあります。

『それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえられるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった』。(マルコによる福音書11章15節〜17節)

神殿という神聖な祈りの場所で商売をする人たちに腹を立てて、その人たちのテーブルや椅子を怒りに任せてひっくり返すイエス。
ユダヤ人はアラブ人と同じセム系民族なため、長身だったかもしれません。
また父親のヨセフが大工だったこともあり、幼少時はその仕事を手伝い、その後も建築の仕事に携わっていたことから、細身であっても、屈強な体つきだったかもしれません。
そんなイエスが怒りを露わにし、人々を追いやり、テーブルや椅子をひっくり返す様子は、相当迫力があったかもしれません。

イエスにも人間の時代があったのです。
悩み、苦しみ、喜び、笑い。
私たちと同じような時間を過ごしていたのかと思うと、イエス・キリストをとても人間らしい、身近な存在に感じました。

エルサレムへ着くと、丁度太陽が沈むところでした。

そして太陽が沈んだ空と反対側の空には月。
この翌日は満月です。

子どもの頃から思い描いていたエルサレムは、どんな町なのでしょうか。


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