この日は、神殿の丘、西壁、イスラエル博物館、ベツレヘムをまわりました。
まず最初に、前日の夕暮れ、ホテルの近くの丘から見えた金色に輝く岩のドームのある神殿の丘へ。
アル・アクサーモスクから見た岩のドーム。 |
神殿の丘は、エルサレムの旧市街にあるユダヤ教とイスラム教の聖地。
紀元前10世紀頃、イスラエルの王であったソロモンによって第一神殿であるエルサレム神殿が建てられましたが、紀元前587年にバビロニアにより神殿は破壊されます。
その後、間もなく第二神殿が建てられますが、70年にローマ帝国によりエルサレムの陥落と同時にこの第二神殿も破壊されました。
その後、1948年にイスラエルが建国しても、ヨルダンが東エルサレムを支配していた1948年〜1967年までの間、イスラエル人は神殿の丘のある旧市街への立ち入りを禁止されていました。
現在、神殿の丘はイスラエルの領土内にありますが、イスラム教指導者によって管理されているため、ユダヤ人とキリスト教徒はここで宗教的儀式を行うことを禁止されています。
何故ここがユダヤ教とイスラム教の聖地なのか。
ドームの天辺に『ヒラル』があることから、これはモスク。 イスラム建築のドームは、この岩のドームが発祥だとか。 |
それはこの神殿の敷地内にある岩のドームが、イスラム教徒にとっては、カアバ神殿、予言者のモスクに次ぐ第三の聖地であると同時に、ユダヤ教徒にとっても、その内部に祀られた『聖なる岩』は、五大予言者の一人であるアブラハムが、神に息子のイサクを生け贄に捧げようとした神聖な場所でもあるからなのです。
イスラム教の管理下にあるとは言え、異教徒である私たちが入場を許されているのであれば、ユダヤ教徒やキリスト教徒もこの場所を訪れることができます。
しかし私たちがアル・アクサーモスクの横でガイドさんの話しを聞いていると、キッパを被った一人のユダヤ教徒が武装した4人のガードと共に、入場してきました。
アル・アクサーモスクを横から。 別名『銀のドーム』が少し見えます。 |
すると、そのモスクの入り口に集っている女性のイスラム教徒が、その男性に向かって一斉に大声で叫び始めました。
アラビア語だったか、ヘブライ語だったか、彼女たちの口から発せられた言語が何だったかは分かりませんが、そのユダヤ教徒の入場を歓迎しないものであることは確かでした。
そしてその後、岩のドーム周辺でガイドさんから話しを聞いていると、一人のアラブ人の警備員らしき男性が、ガイドさんに執拗に何かを言い始め、私たちのグループを監視するかのような行動を取り始めました。
それから間もなくして、その男性が私たちのグループの一人が祈るような仕草をしたと叱咤し、その上その場をたまたま通りがかった別の警備員らしき人から、「今すぐここから出て行け!」と大声で怒鳴られました。
直接的な、非常に熱い、容赦ない怒り。
今、私が住むトルコもイスラム教の国ですが、このような有無を言わさない衝動的な怒りを経験したことは、一度もありません。
このことは、今でも思い出すと胸がドキドキして、苦しくなります。
アル・アクサーモスク横で集う女性のイスラム教徒(右)と、 武装警備員に護衛されているユダヤ教徒(左) |
エルサレムの、そしてイスラエルの置かれている立場を突きつけられた、そんな瞬間でした。
続きます。
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