この日は、カナ、ナザレ(受胎告知教会、マリアセンター)、カルメル山、地中海にあるカイザリヤを経て、いよいよエルサレムへと向かいます。
ガリラヤ湖の日の出。 太陽が登るとき、そして沈むときは、 いつも神聖な気持ちになります。 |
エルサレム。
私は小さい頃、カトリックの幼稚園に通っていたこともあってか、『エルサレム』という地名は、私の記憶の中で一番最初に覚えた外国の町のような気がします。
エルサレムの夕暮れ。 写真の真ん中辺りに見える金のドームは、 アブラハムが息子のイサクを生け贄として神ににささげようとした岩のドーム。 |
幼稚園で先生が紙芝居で見せてくれたエルサレムの町。
もちろん近代化が進んだ今は、ロバが荷物を引いていたり、白い布をまとった人が歩いている、なんてことはないと思いつつも、良く分からない『期待』みたいなものがあって、この日はただただ、エルサレムに行くことで、胸がいっぱいでした。
もしくは。
マサダとガリラヤ湖の聖ペテロの首位権教会で感じたことが大き過ぎて、このときはまだまだその余韻にひたっていたのかもしれません。
受胎告知教会のファサード。 下からファサードを見上げると、丁度教会のてっぺんに太陽が。 |
この日、エルサレムに向かう途中に訪れた受胎告知教会とマリアセンターのあるナザレは、イエス・キリストが幼少期からおよそ30年間を過ごした土地。
『神の子』と言われはしても、人間として産まれたのであれば、あるときまでは他の子どもたちと同じように成長していったはずです。
今でこそナザレはどこにでもある町の風景と何ら変わりはありませんが、その昔、イエスやイエスの両親であるヨセフやマリアは、この場所で生活していたのです。
天使ガブリエルが処女のマリアにイエスの懐胎を 告げたとされる洞窟。(祭壇の奥です) |
また『神の子』ゆえ、イエス・キリストはどんなときでも、穏やかで心優しい人物、と勝手にイメージする人も多いと思いますが、そうでないイエスの側面を表すかのように、聖書にこんなことが書いてあります。
『それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえられるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった』。(マルコによる福音書11章15節〜17節)
神殿という神聖な祈りの場所で商売をする人たちに腹を立てて、その人たちのテーブルや椅子を怒りに任せてひっくり返すイエス。
ユダヤ人はアラブ人と同じセム系民族なため、長身だったかもしれません。
また父親のヨセフが大工だったこともあり、幼少時はその仕事を手伝い、その後も建築の仕事に携わっていたことから、細身であっても、屈強な体つきだったかもしれません。
そんなイエスが怒りを露わにし、人々を追いやり、テーブルや椅子をひっくり返す様子は、相当迫力があったかもしれません。
イエスにも人間の時代があったのです。
悩み、苦しみ、喜び、笑い。
私たちと同じような時間を過ごしていたのかと思うと、イエス・キリストをとても人間らしい、身近な存在に感じました。
エルサレムへ着くと、丁度太陽が沈むところでした。 |
そして太陽が沈んだ空と反対側の空には月。 この翌日は満月です。 |
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