トルコは日本に比べて祝日が少なくて、しかも一年のうち連休となるのは、このシェケル・バイラムとクルバン・バイラムのみ。
なので、このときに合わせて休暇を取る人が多く、私の回りも先週の前半から半ばにかけて、海辺や郊外へと脱出していきました。
毎日良いお天気が続いていますが、 今年のイスタンブールは比較的涼しい夏かも。 |
私は極力人混みを避けて行動したいので、連休中はもっぱら家や家の周辺で過ごします。
これは日本にいたときも同様で、夏休みがフレキシブルに取れる環境にいたため、都内がガラガラになるお盆や年末は仕事をして、飛行機のチケットが安くなる頃に合わせて、休暇を取っていました。
家でPCを使って仕事をしている今は、インターネットさえあればどこでも仕事ができるという、とても恵まれた環境。
旅に出るときはほとんどいつもPCを持って、旅先でも仕事をしています。
で、今回のシェケル・バイラムも、私はいつも通りイスタンブールで。
初日の金曜日は暑さが一段落する頃、ヨーロッパサイドに住む友だちが遊びに来てくれ、昨日は家の近所に住む友だちと、カフェでのんびり過ごしました。
うちの近所、カフェに行く途中で昼寝をする猫たち。 快適な場所は猫に聞け、と言いますが、本当です。 |
この友だちとは、家が近所ということもあって本当にしょっちゅう会うのですが、話題が豊富で話していて飽きることがなく、また私の話しもいつもジャッジすることなく聞いてくれるので、気分がとても楽。
昨日も、ギリシャ問題から、最近私が始めたカーヌーンのこと、旅のことなど色々と話したのですが、その中でも印象に残っていたのが、アタテュルク初代大統領のこと。
アタテュルク初代大統領は、世俗主義、民族主義、共和主義などを柱としてトルコ共和国の基本路線を敷いたのですが、多くの民族の文化や言語、宗教が交じり合ったこの国では、それはそれは大変なことだったと想像します。
そのために、尊いはずの人の命を含め、信仰、そして民族としての誇りなど、考えられないほどの多くの犠牲があったことでしょう。
ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領。 トルコのお札にもなっています。 (写真はWikipediaより) |
大勢が解放される反面、抑圧される人たち。
その矛盾を友だちに話すと、「アタテュルクを崇拝する人たちに、アタテュルクを非難するようなことを言ってはいけないよ」と諭されると同時に、「でも非難ではなく、『疑問』としてぶつけてみるのもいいかもね。君は外国人だから、言い方に注意すれば大丈夫かもしれないよ」とも。
日本の神話によると、日本が建国されたのは紀元前660年と言われています。
細かく見れば違うかもしれませんが、2600年以上前から民族や文化が形成され、建国の際にあったかもしれなr混乱を知らずに生きている今の私たちには、多くのトルコ人がアタテュルク初代大統領に抱く感情は、理解し難いかもしれません。
けれど、前出の友だちも、私の疑問を認めた上で、もしアタテュルクがいなかったら、今のトルコはない、そのときに払った犠牲が大きかったとしても、彼の功績はそれをはるかに上回るものだ、ときっぱりと言いきっていました。
自由に生きられるということは、当たり前のことのようですが、 『自由に生きる権利』を与えられている人たちは、 どれくらいいるのでしょう。 鳥でさえ自由に空を飛べるのに。 |
現政権を握るタイイップ・エルドアン大統領率いるAKP(公正発展党)は、アタテュルク初代大統領が成しえた『トルコの世俗化』に対しては批判的で、ここ数年、政治に宗教を戻そうという動きが見受けられます。
しかし先月行われた統一選挙でAKPの議席は過半数を割り、エルドアン大統領が首相に就任した2003年より続いたAKPの独裁政権にピリオドが打たれようとしています。
今現在、連立交渉もうまく進んでいない状況で、再選挙の可能性も大いにあり得ると思います。
トルコも岐路にいます。
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