2015年7月29日水曜日

Shams of Tabriz -- シャムセ・タブリーズ

先日友だちと会ったときに、ふと思いついて何の計画もなくコンヤへ行ってきました。

コンヤはトルコの首都アンカラから南へおよそ250キロほど行った所にある、人口およそ100万人の町。
ここはかつて聖パウロがキリスト教の布教に訪れた町としても知られています。そしてまた、トルコ共和国の建国から4年後の1927年に解散させられましたが、トルコを代表するイスラム神秘主義、メヴレヴィー教団の本拠地でもありました。

メヴレヴィー教団の祈りのダンス、セマー。(写真はWikipediaより)

No planの旅なので、行きの飛行機の中で地図を見て行きたいところを確認。
今回の目的は、メブレヴィー教団の始祖、ジャラール・ウッディーン・ルーミーが眠る『メヴラーナ博物館』だったはずなのですが、歩いている途中でふと地図を見ると、そのとき『シャムセ・タブリーズ・ジャーミィ』の文字が目に飛び込んできました。

シャムセ・タブリーズ。
彼はルーミーが30代半ばの頃、当時父親の後を継いで高尚な説教師であったルーミーの中に眠る高い精神性を開眼させたと言われている人物。
イランの西にあるタブリーズという町の出身で、子どもの頃から神を追い求め、旅をしている最中、ダマスカスのスーフィー教のマスターからコンヤに行くように言われます。
そしてそこでルーミーと出逢います。

シャムセに出逢ったルーミーは、そのときからシャムセを師と仰いで、それまでルーミーが行って来た形式的な説教や生活態度を放棄し、シャムセと日夜道場に籠もり修行を行ったそうです。
ルーミーの弟子やコンヤの人たちは、そんなルーミーの変化に戸惑い、その矛先は『怒り』と『嫉妬』という形でシャムセに向けられ、シャムセは一度コンヤを去りますが、再びコンヤに戻ります。
しかしその後ルーミーの息子や彼の弟子たちにより殺害され、その遺体は井戸に投じられ、その井戸があった場所というのが、この『シャムセ・タブリーズ・ジャーミィ』だと言われています。

シャムセ・タブリーズ・ジャーミィ。
ドームの形は丸形ではなくて八角形。

そんな話しを思い出してシャムセの名前を持つジャーミィへ向かうと、迷うことなくすんなり到着。
小さくて地味なジャーミィでしたが、その空間はとても穏やかでした。
『祈りの場』という空気がジャーミィ全体に流れていたので、内部の写真を撮ることは出来ませんでしたが、シャムセのお墓の側にいると、不思議なことが起きました。

私が入って間もなく、一人のイスラム教徒らしき男性がシャムセのお墓の前に座りお祈りをしていたのですが、お祈りが終わると立ち上がり、「ムー」と、まるで『オーム』のような音を発しながら、立入禁止を意味するであろう柵を飛び越え、シャムセのお墓の横に行くと、近くにあったコーランを乗せる台座を出して、その上にコーランを開きました。

その間も、ずーっと「ムー」は続いています。

私自身も何だかとても厳かな空気に包まれて、柵の外でしたが、共に座りしばらくその人の「ムー」に集中していると、一人の男性が柵に近づいてきてこう言いました。

「ここは立入禁止です。どんな理由があろうとも、一般の方は入れませんので、どうぞ柵の外に出てください」
恐らくこのジャミィの管理人でしょう。
管理人にそう言われても、その男性は直ぐには立ち上がらず、しばらくその場で「ムー」と共に祈りを唱えていたと思います。
やがて、「ムー」が聞こえなくなったと思ったら、男性は柵から出て来ました。

その間およそ7、8分ほど。

そのことを友だちに話すと、「その人はシャムセの魂を揺り起こしたかったのかなぁ」と笑いながらそう言いました。
そうかもしれないね、と私も笑って答えましたが、あのときその人の発した「ムー」という音は、私の身体の中心を確かに突き抜けており、自分がそのジャーミィと一体化したような不思議な感覚を覚えました。


その後、ルーミーの眠る『メヴラーナ博物館』へ行ったのですが、人が多くて落ち着かず。
でもミュージアムショップで探していた本が見つかり、混雑している博物館を後にして、その日の午後から夜の飛行機の時間まで、ずっと本を読んで過ごしました。

『自分の中に存在する空しさにも関わらず、私は決して希望を失うことはなかった。』

今読んでいる本の中でシャムセが言った言葉ですが、私も自分の中に感じている『空いた感じ』を埋めに、今回コンヤに行ったように感じていますし、シャムセのお墓で体験したことが、私に何かを与えてくれたように感じています。
それが今は何なのかは分からなくても、一つ一つ、毎日目の前で起きる現実に向き合い受け止め、自分の一部とすることで、その先にある、本来の自分が求めているものが見えてくるのかもしれません。

シャムセの意味は『太陽』。
この日撮った写真のほとんどに、強い太陽の光が映っていました。

シャムセが殺された後、彼が殺されたことを知らないルーミーはシャムセを探しますが、あるとき探すことを止めます。
そのとき、ルーミーはこう言いました。

『私は彼(シャムセ)なのだから、何故私が彼を探す必要があるのだろうか。私はまるで彼のようだけれど、私の言葉で話すであろう。もしあなたがあなたのシャイフを熟知しているのなら、神のことも隔たりなく熟知するであろう。』


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