2014年10月24日金曜日

Rouen -- ルーアンという町

今回日本へはエールフランスで帰ったため、帰りはパリ経由でイスタンブールへ戻って来ました。その際、数時間いるも数日いるもチケットの値段が変わらないので、数日間パリにいることに。

ずっとパリにいても良かったのですが、観光シーズンということもあってどこへ行っても人の多いこと。なので、最終日は電車に揺られて、ノルマンディー地方のルーアンという町へ行ってきました。

SNCR(フランス国鉄)のRouen Riva Droite駅

この日は朝からとっても良いお天気で、しかも土曜日ということもあって、比較的早めに動いたにも関わらず、ルーアン行きの電車は満席。
ルーアン行きの電車が発着するパリのセント・ラザール駅で、駅の職員に聞いたところ、ここからルーアンまで通常は1時間だけど、今日は事故があったから1時間半くらいかかるかな、とのこと。
でも結局、行きも帰りもそれぞれ2時間かかりました。

木と石を合わせて作った昔ながらの家。
パリ市内でも時々見かけましたが、ここルーアンには沢山あります。

ルーアンは、印象派モネの書いた大聖堂があることで有名です。
私は絵画には(にも)疎いので良く分かりませんが、ルーアンは今も、昔ながらの木と石を組み合わせた建物が多く残っており、とても情緒的な印象の強い町です。
またとにかく教会が多い。
行くところ、行くところに、立派な教会があるのですが、土曜日ということもあって、夕方のミサまで閉館しているところが多かったのが残念でした。

いたるところにゴシック建築の建物があります。
モネも沢山描いた、ノートラダム大聖堂。

そしてルーアンは、フランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルクが処刑された町としても有名です。
ジャンヌ・ダルクの肖像画。
他にもあるけれど、私はこれが一番好き。

パリの東にある、ドンレミ=ラ=ピュセルという小さな町で生まれた少女ジャンヌ・ダルクは、13歳のときに神の啓示を受けたとしてフランス軍に従事し勝利を収め、当時イギリスに包囲され陥落寸前にあったオルレアンを解放しました。
ジャンヌが率いる隊はその後も勝利し続け、シャルル7世の戴冠に貢献したものの、その後ジャンヌを疎ましく思い始めたシャルル7世は、その後の戦いでジャンヌを援護せず、その結果ジャンヌは捕われ、異端裁判にかけられ、わずか19歳のときに、火刑に処せられたそうです。

ジャンヌ・ダルク教会

今回ルーアンでは、ジャンヌ・ダルク教会と、ジャンヌ・ダルクが処刑されたヴィエ・マルシェ広場、そしてジャンヌが監禁されていたジャンヌ・ダルクの塔へ行ってきました。
教会やマルシェ広場周辺ではこの日はマルシェが行われていてとても賑やかでしたが、そこから少し離れたところにある塔は、外では本を読む人がちらほらいたものの、内部は私一人しかいませんでした。
駅の近くにある、ジャンヌ・ダルクの塔

まだ若かったジャンヌ・ダルクは、捕われてから処刑されるまでの1年間、ここで何を想い毎日を生きたのか。
そんなことを、柔らかいパステルカラーのはめ込まれた窓から外を見ながら、考えました。

ジャンヌ・ダルクの塔の内部。

ルーアンのあるノルマンディーは、リンゴの産地としても有名で、中でもリンゴのお酒、シードルが名産品とのこと。
私は翌日イスタンブールへ戻ることもあって買いませんでしたが、次回は同じノルマンディー地方にあるモンサンミッシェルに行きたいと思っているので、そのときは是非味わってみたいと思います。

ルーアンはノルマンディー地方。
ノルマンディーはリンゴが有名。

ルーアンへの行き方:
パリのセント・ラザール駅からSNCF(フランス国鉄)、Rouen Rive Droite行きで約1時間。
料金は当日買いで、片道約23ユーロ。
週末や祝日は2等席でも大分混み合うので、座りたい場合は、早めに駅に行った方がよいです。

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