でも私は個人的に、イスタンブールの7つの丘の第3の丘の上に建てられたスレイマニエ・モスクが一番好き。
丘の上から旧市街を見おろすように建てられた スレイマニエ・モスク。 |
このモスクを作ったのは、トルコの最高建築家のミマール・シナン。
シナンは、トルコのカイセリ近くにあるアウルナスという小さな村で生まれました。
彼はアルメニア人でキリスト教徒でしたが、22歳の頃、デヴシルメ制度という当時のオスマン帝国の徴兵制度によりイスラム教に改宗して、イェニチェリという君主直属の新兵軍団に入隊。
その後イェニチェリの工兵隊に所属し、スレイマン一世の治世時代に納めた功績により、1538年に皇室造営局長に抜擢され、それから亡くなるまで、宮廷建築家として仕えたそうです。
スレイマニエ・モスクは、どこから見ても美しい! |
このスレイマニエ・モスクは、1550年、シナンが60歳のときに着工し、それから7年かけて建てられた、数あるシナンの作品の中でも最高傑作の一つと言われているモスク。
夢枕獏さんの書いた小説『シナン』の中で、スレイマン一世は、当時イスタンブールで最大のドームを持つアヤソフィアを凌ぐ大きさのドームを持つモスクを建てるようシナンに命じますが、「出来ません」とシナンは答えます。
それでも、当時シナンが持っていた全ての才能と技術を持って設計し、建てられたモスクです。
ドームの大きさは27.5メートル。 大きさではアヤソフィアのドームを凌ぐことはできなくても、 これはこれで素晴らしい作品。 |
そして、私はここのエザーンも大好きです。
特にエザーンの時間を狙って行くわけではありませんが、ここに来る度エザーンの時間に重なることが多く、お祈りの時間はイスラム教徒以外は中に入れないため、モスクの外で、そっとその声に耳を傾けます。
またこの日は初めてシナンのお墓を訪れました。
友だちから、トルコの最高建築家と言われているのに、そのお墓が余りに質素で驚いた、と聞いてはいましたが、シナンのお墓は、スレイマン一世やスレイマン一世の妃であるヒュッレムの墓廟からはかなり離れた、礼拝堂の敷地から少し離れたところにありました。
礼拝堂から離れた、人々の普通の暮らしの中にあるシナンの墓廟。 |
シナンは生前に自分の墓廟を設計し、場所も決めていたと聞きます。
小説『シナン』ではスレイマン一世にとても近い存在だったという印象を受けていたので、スレイマン一世の墓廟の近くにシナンも眠っていると思っていましたが、身分の違いを意識したのか、『壮麗帝』の側に眠りたくない事情があったのか。
それはシナン自身にしか分かりません。
この下に、シナンが眠っています。 |
余談ですが、スレイマン一世の墓廟に行ったとき、その入り口に"Kanuni"という文字が目に留りました。
調べて見ると、スレイマン一世は、トルコで法典を編さんし、帝国の制度を整備したことから、"Kanuni" (カーヌーニー『立法帝』)と呼ばれていたそうです。
私が今練習しているトルコの楽器、カーヌーン(Kanun)も、楽器のカーヌーンの他に『法律』という意味がありますし、私にカーヌーンを教えてくれ、スペアを貸してくれている方は、法律のプロ、そう、弁護士さんなのです。
こちらはスレイマン一世たちの墓廟。 |
このリンク、一体何に繋がっているのでしょう。
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