前日は雨。 そのお陰か、この日はとても清々しい朝でした。 |
1882年3月に着工したこの教会の建設は、着工から130年余りたった今でも建設が続けられています。
この教会が完成するのは、ガウディ没後100年となる、2026年。
今世紀にこの教会の完成を見届けることの出来る私たちは、とてもラッキーだと思います。
正に建築中! 見学中もドリルの音が聞こえて 建築現場にいる気分を満喫出来ます。 |
サグラダ・ファミリアについては、ネットで検索すれば色々と出て来ると思いますので、今回は私が感じたサグラダ・ファミリアについて書きます。
事前に基本的な情報をネットで調べたところ、誰もが「朝早く行くのがオススメ」と書いていたので、事前にネットでチケットを予約し、8時過ぎに地下鉄のSagrada Familia駅に到着。
「思っていたより小さい」
これが私のサグラダ・ファミリアの第一印象。
というのも、これまで訪れた有名な教会はどれも、教会の前や周辺には広場が併設され、その圧倒されるような存在感を感じていたのですが、この教会は町の一角の敷地いっぱいに建てられ、人々の生活に密着しているような、そんな印象を受けました。
入場すると、クリスマスシーズンということもあって、生誕のファサードの一角に階段が設けられており、『キリストの生誕』の像を間近で見ることが出来ました。
新しい命の誕生に、 誰もが嬉しそう。 |
そして生誕のファサードから中へ。
まず眼に飛び込んできたのが、イエス様の磔刑像。
この像自体がライトアップされ、またさらに上にのびる尖塔の天窓からも光が差し込むため、これが一筋の光のようにも見えます。
その美しさに見とれていると、突然館内に賛美歌が流れ出しました。
と同時に、私の目からも何故か涙が。
天を仰ぐイエス様。 天窓から差し込む光を見ていると、 ガウディは光の中に神様の存在を見たのかもしれません。 |
ここで、サグラダ・ファミリアのイエス様の磔刑像は、他の教会で見て来た磔刑像とは全く違うことに気がつきました。
その違いというのは、これまで見て来た磔刑されたイエス様はどれも下を向いているのに、サグラダ・ファミリアのイエス様は天を仰いでいるのです。
それには、希望さえも感じ、十字架に張り付けられたイエス様は、まるで天に召されることを望んでいるかのように、身体自体にも上昇しようとする、躍動感さえ感じられました。
そして、その後、エレベーターで生誕の塔へ。
塔の中は人とすれ違うことも難しいくらいとても狭いため、ゆっくり写真を撮ったりしていると、後ろが詰まってしまいます。
ただ、所々に元の道に戻れるように工夫されているので、ゆっくり景色を楽しみたい人は一度横道にそれて、後ろの人に先に行ってもらうのが良いでしょう。
そして塔のあちこちにある小窓やバルコニーからは、工事中の作業や、バルセロナの町、はたまた入場を待つ人々を階下に見れて、中々面白いです。
(注:以下に掲載している写真は、高所恐怖症の人にはかなり怖いかもしれません)
塔の上から見たバルセロナの町。 |
右側は『生命の木』。 |
所々で鳩と目が合ったりする。 Bon dia!(カタルーニャ語で『おはよう!』の意味) |
塔の小窓から上を見上げる。 |
そして、下を見おろす。 |
そして、階段で下に降りている途中で、こんな写真を撮りました。
この階下に続く螺旋状の模様を見たときに浮かんだ言葉が、"infinite"。
この言葉には、「無限の」とか「果てしない」という意味の他に、それにtheがつくと「無限なる者」、つまり「神」という意味があります。
ガウディは、晩年はとても信仰心が厚かったそうですので、この螺旋の向こうに、神の存在を感じていたのかもしれません。
教会の内部は吹き抜けになっています。 高い! |
『受難のファサード』の門に刻まれた文字。 大切なところは、こうやって金色になっています。 |
またこの他に強く印象に残っているのが、最も壮大となる『栄光のファサード』が、私には、とても冷たく感じられたこと。
そして『受難のファサード』の磔刑されたキリストの下でイエスの顔を拭った布を持つヴェロニカ像に顔がないこと。
『栄光のファサード』の内側。 栄光なのに、冷たいエネルギーを感じるのは何故? |
磔刑されたイエス様。 そして顔のないヴェロニカ。 |
これについての謎解きは、次回バルセロナに行くときの楽しみに、とっておきましょう。
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