2015年6月4日木曜日

Israel Day 4: Sea of Galilee -- イスラエル4日目:ガリラヤ湖

イスラエル4日目。

前日、イエス・キリストゆかりの地として有名なガリラヤ湖に到着。
この日は、ガリラヤ湖を船で遊覧した後、パンと魚の奇跡の教会、ゴラン高原、バニアス(ヨルダン川源流)、カペナウム、山上の垂訓教会、ペテロ首位権教会を訪れました。

ガリラヤ湖。
船上から。

このガリラヤ湖が何故イエス・キリストゆかりの地なのかというと、イエス・キリストの布教活動は、ほとんどこのガラリア湖で行われたからです。
パンと奇跡の教会は、イエスが5つのパンと2匹の魚で5000人もの人を満腹にした奇跡をこの地で起こしたことを記念して建てられた教会。
山上の垂訓教会は、新約聖書のマタイによる福音書第5章から第7章にある教えを、イエスが弟子たちや群衆に伝えたとされる場所に建てられた教会。

カペナウムのシナゴーグ。
ここをイエスやその弟子たちもその昔よく歩いていたはず。

そして聖ペテロ首位権教会は、十字架にはりつけられた死んだはずのイエスが復活し、弟子たちの前にその姿を現したとされるガリラヤ湖の湖畔に建てられています。

聖ペテロの召命教会

ある日の夜明け、一人の男が湖畔に立っていました。
この男が復活したイエス・キリストです。
そのときイエスの死後、故郷のガリラヤ湖に戻り漁をしていたかつての弟子たちに、イエスは「何か食べるものはあるか?」と尋ねます。
「ありません」と答える彼らに、イエスは舟の右側に網をおろすよう指示します。
彼らが網を引き上げると、そこには大量の魚がかかっていました。

ガリラヤ湖湖畔。
「何か食べるものはあるか」と
イエスがかつての弟子の一人に尋ねたと思われる場所。

過去にイエスが起こした数々の奇跡を目にしてきた弟子たちは、それを見てピンと来たんでしょうね。
その場にいた弟子の一人はすぐさま、同じく漁師に戻ったペテロの元に駆けつけ、イエスの復活を告げます。
復活したイエスに裸のまま会うことを躊躇ったのか、ペテロは服を着、イエスのいる湖畔に向かうと、すでにそこには朝食の準備されており、「さあ、朝の食事をしなさい」とイエスが彼らに朝食をうながしました。
この聖ペテロ首位権教会の中には、このときイエスとその弟子が朝食をとったとされた場所が "Mensa Christi" (キリストの食卓)として、今でも保存されています。

イエスの復活後、
イエスとその弟子たちが朝食を食べたとされている場所。

ペテロは、このガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしているときに、イエスに声をかけられ一番最初の弟子となった人物で、弟子の中でもリーダー的な存在でした。

明日イエスが捕えられ、処刑されるであろうと言う日の夜、最後の晩餐の後、12人の弟子の前でイエスは自身の死と復活を予言します。

「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼いを打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。
しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
(マタイによる福音書第26章31節、32節)

そのときペテロは、たとえみんながつまずいても、私は決してつまずきませんと言うのですが、イエスはここで、「よくあなたに言っておく。鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」(マタイによる福音書26章34節)とペテロに言います。
ペテロは、そんなことはない、と言いますが、その後イエスが捕えられ、心配で遠くから見守るペテロに群衆の人々から、「イエスを知っているのか?」と尋ねられ、彼はイエスの予言した通り、三度「知らない」と否定してしまいます。
三度目に否定したすぐ後に鶏が鳴いたことで、ペテロはイエスが言ったことを思い出し、激しく泣いたそうです。

そういった辛く悲しい思い出の後での再会。

弟子たちが朝食をすませると、イエスはペテロに「あなたは私を愛するか」と繰り返し三度尋ねます。
愛する、と答えるペテロに、私の子羊を養い、飼いなさいと言います。
もちろん本当に羊を養い、羊飼いになれということではなく、最後の晩餐で羊飼いを自分、羊の群れを弟子や信者と比喩したのと同じで、自分のように布教をして人を育てなさい、ということだと私は理解しています。

イエスが磔刑されたとき、私だけは決してあなたを裏切らないと言ったにも関わらず、そのときの様子におののいたのか、イエスを知らないと、三度もイエスを裏切ってしまったペテロ。
しかしこのときのガリラヤ湖での誓いを機に、彼は揺るぎない信仰のもと熱心に布教を続け、最期はローマでの布教中に当時の皇帝ネロの迫害に遭い、逆さ十字架にかけられて殉教したとされています。

殉教する前、実はペテロはその迫害を逃れるために、一度ローマから避難しようとしたのですが、その途中で向こうから歩いて来る自分の師であるイエスと遭遇します。
「主よ、どこへ行かれるのですか?」と問うペテロに、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えます。
ペテロはこのとき全てを悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったそうです。

このペテロの心の動き。
イエスのことは本当に大好きで、彼が死から復活したことも信じてはいるんだけど、果たして普通の人間である自分にも、イエスと同じことが起きるのだろうか、、、
そのような感情が、最後に覚悟を決めるまで、小さくはなっていてもずっと彼の心の中にあったんじゃないか、そんな風に私は感じています。
これはあくまで私の主観ですけど。

命がけで何かを信じるとき、そんなとき人間の想像も及ばない力がきっと働くのでしょう。
それが『奇跡』なのかもしれません。


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