2015年6月15日月曜日

Israel Day 6: Jerusalem/Western Wall & Bethlehem -- イスラエル6日目: 嘆きの壁とベツレヘム

さて。

岩のドームで今までにない緊張感を体験した後、かつて神殿の丘に建てられていたエルサレム宮殿の西側にある、嘆きの壁へと向かいました。

嘆きの壁。

祈りの場は男女別れています。
男性はキッパ(小さな帽子のようなもの)を着用しなくてはいけません。

ユダヤ人はこの壁を嘆きの壁とは呼ばず、『西の壁』と呼びます。
この壁が『嘆きの壁』と呼ばれるようになったのは、一説によると、安息日にユダヤ教徒はこの壁の前に集まり2度の神殿の破壊を嘆き、聖地の回復を祈るという中世に始まった習慣を、19世紀にここを訪れた旅行者がそう呼ぶようになったことからだそうです。

嘆きの壁のあるエルサレムは、70年にローマ帝国に陥落されて以来、多くの国に支配されて来ましたが、1517年には、東ローマ帝国の首都であったコンスタンチンノープル(現在のイスタンブール)を陥落したオスマン帝国がこの地を支配するようになりました。
その後、400年間もの間、オスマン帝国はエルサレムを支配するのですが、16世紀半ば、当時の皇帝だったスレイマン一世は、それまで『西の壁』に立ち入ることを禁止されていたユダヤ教徒にその場所で祈る権利を与えました。
またトルコの有名な建築家であるミマール・シナンも壁の修復に参加し、ユダヤ教徒のために礼拝堂も建築したそうです。

上を見上げると、平和を象徴する白い鳩がいました。
ここでの祈りが届きますように。

嘆きの壁は、ユダヤ教徒地区にありますが、ここは全ての宗教の祈りの場として解放されています。
そのため、大勢の人たちが宗教の壁を越えてこの場で祈りを捧げています。
長い時間、壁に頭をつけ祈りを唱える人、壁の前で聖書やコーランを読む人。
非常に混んでいて、壁に触れる場所を見つけるのに苦労しましたが、ようやく空いた壁に全身をあずけ目を閉じると、静かな祈りの世界に包まれました。

ちなみにユダヤ教の安息日(シャバット)は、ここでの写真撮影は禁止されていますので、その間ここを訪れる方はご注意を。
※安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没まで。

聖地でありながら衝突も多い地域。
これは爆弾用のゴミ箱。
爆弾が発見されると、ここに入れて爆発させるそうです。

そしてこの後イスラエル博物館を経て、イエス・キリストの生誕地、ベツレヘムへ。

ベツレヘムもエルサレム同様、多くの国に支配されてきた地域です。
現在ここを支配するのは、パレスチナ自治区。
そのため住民の多くはイスラム教徒ですが、ベツレヘムにはパレスチナにおける最大級のキリスト教徒コミュニティーも存在します。

ベツレヘムには、イエス・キリストが降誕したと言われている場所に『降誕教会』が建てられており、その教会はローマ・カトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会がそれぞれ区分所有されています。
それもあって、教会の内部はきっちりと区分され、それぞれにその宗派の特色が強調されていました。

降誕教会

これはあくまで私の感覚ですが、同じキリスト教にもそこにはやはり『見えない対立』のようなものを感じました。
何故、単に『キリスト教』じゃだめなのか。

そもそも、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じ神を信じる一神教なのに、何故お互いを認め受け容れることができないのか。
好きなものに理由がないように、「神様が好き。だから信じるてる。」だけじゃだめなのか。

イエス・キリストが生まれたとされている場所。
馬小屋は小屋ではなくて洞窟だったそうです。

私は神様の存在を信じていますが、どの宗教にも属していません。
かつて2度、キリスト教の洗礼を受けることを考えましたが、直前になって受けたくなくなるようなことが起き、結局洗礼を受けることはありませんでした。
またあるとき一人のクリスチャンの友だちから、「洗礼を受けていないのなら、どんなに良い人でも天国に行けないよ」と言われたこともあります。
でもそのときの私の答えは、「死んじゃった後、どこで会うか楽しみだね」でした。

イスラエルとパレスチナを隔てる分離壁。
壁の向こう側がパレスチナでこちら側がイスラエル。
この壁が取り払われ、人々が民族と宗教を超えて
安心して暮らせる日が来ますように。
壁画がとても印象的でした。

さて、それはどこでしょう。
天国でしょうか。
それとも地獄でしょうか。


ブログランキングに参加しています。 応援していただけると嬉しいです♪
にほんブログ村 旅行ブログ 中東旅行へ
にほんブログ村
にほんブログ村 海外生活ブログ トルコ情報へ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿