2015年4月26日日曜日

April 24, 2015 -- 2015年4月24日

4月24日は、アルメニア人虐殺の追悼記念日でした。

100年前のこの日、オスマントルコ帝国は、当時の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)で200人余りの知識人を統率していたアルメニア人詩人のダニエル・ヴァルジャンを強制連行しました。

1915年4月、オスマン帝国軍の武装兵により追い立てられるアルメニア人
(写真はWikipediaより)

そしてこの後、オスマン帝国に居住していたアルメニア人キリスト教徒が標的となり、多くのアルメニア人がシリア砂漠へ向かっての容赦のない死の行進を強いられたり、虐殺されたりしました。

その数、およそ150万人。
先に強制連行されたダニエル・ヴァルジャン氏も、拷問の末、殺害されたと言われています。

4月24日の夕方、イスティクラール通りにあるフランス総領事館の前での追悼。
(写真はHurriyet Daily Newsより)

そもそも何故このような大虐殺が起きるのか。
個人的には、全ての根源は戦争にあると思っています。
それでは何故人は戦うのか。

古代アテナイの歴史家トゥキディデスは、戦争が起きる理由は3つしかない、それは「利益」か「恐怖」あるいは「名誉」だ、と述べています。

私は歴史には詳しくはないので解釈が間違っているかもしれませんが、昔も今も、人(国)は利益を得るために、実在しないかもしれない恐怖を人々に植え付け、その恐怖から自国民を護るといった正義を理由に、戦争が繰り返されているように思います。
そしていつも犠牲になるのは罪の無い人たちで、戦争の首謀者は傷つくことも、何も失うこともありません。

そのようにして始まった戦争により、憎しみは新たな憎しみを産み、結果的に憎しみの連鎖を断ち切らない限り、戦争は永遠に続くものなのかもしれません。

アルメニア人虐殺もその背景には、アルメニア人がオスマン帝国からの独立を意図とし当時オスマン帝国と敵対関係にあったロシア軍と結託したり、オスマン帝国からの脱走兵がゲリラ化しムスリム(イスラム教徒)の村落への襲撃を繰り返していたという事実もあったようで、そういった行為によりムスリムやトルコ人のアルメニア人に対する憎悪が強まり、このような残虐な行為へと発展して行ったのかもしれません。

トルコ人と戦争の話しをすると、必ずと言っていいほど聞かれることがあります。
日本は何故、日本に原爆投下をしたアメリカと友好関係にあるのか、ということ。

そして同じような質問を、アメリカ人からも聞かれたことがあります。
第二次世界大戦でアメリカが日本にしたことで、日本人はアメリカを憎んでいないかと。

憎んでいる方もいるでしょう。
特に原爆で犠牲になった方の中には、戦後70年を迎える今でも、その影響で苦しんでいる方もいると思います。
でも私自身は、ああいう形で戦争が終わり、戦争教育もされなかったことは、強制的ではありますが憎しみの連鎖を断ち切り、それが70年も戦争をしない国家でいられるのだと思っています。

プラカードの青年、アルメニア人を祖先に持つSevag Balıkçıさんは、
兵役中の2011年4月24日、兵役が終わるまであと23日というときに殺害された。
兵役中に超国家主義の兵隊から嫌がらせを受けていたとの情報も。
25歳でした。

人はどうやったらその憎しみを解消できるのだろう。
どうしたら、相手を赦せるのだろう。

2015年のこの日、たまたま出掛けたタクシムで、追悼デモに遭遇し、そんなことを思いました。

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